最近、記憶力の減退がとみに激しい。歳(とし)のせいばかりではないように思う。“コロナ神”の術中にすっぽりとはまってしまったのか。そういえば、マスクも3密もソ−シャルディスタンスもいつの間にか頭の中をスル−して、すっかり体になじんでしまったような気がする。顕著な“忘却”傾向はコロナ禍に振り回された過去1年に集中している。本来はこんな従順な性格じゃなかったはずだったのに…。そのことにハタと気づかされたのは今年のゴ−ルデンウイ−クのさ中である。どうも、この未知なる神は人間を思考停止の状態に追い込んで、面白がっているフシがある。
大型連休中には確か祝日が3日続いてあったはずなのに、当日になってもそれが思い出せない。あせった。慌ててカレンダ−をめくった。みどりの日(4日)とこどもの日(5日)はまあパスするとして、3日が「憲法記念日」だったことまで失念していた。数年前まではこんなことはなかった。「来し方行く末」に思いをいたすために“記憶”を喚起する日だったはずが、この有様である。ジワリと忍び寄る“認知っ気”を自覚したせいもあり、それこそ記憶を総動員して当日の新聞(朝日新聞)をなめるよう読み直した。
「男女平等の理念/遠い日本」「改憲『必要』45%/『必要ない』44%」―。おなじみの「周年」特集や拮抗する世論調査の分析など盛りだくさんの記事の中で目を引いたのが「コロナ下の記念日」という見出し。いわゆる、現下の“緊急事態”と憲法の中に「緊急事態条項」を加えるべきかどうかなど、憲法論議が新たな局面に入りつつあることに改めて、時代の流れを感じた。活字を追う目がふいに、一枚の写真に吸い寄せられた。ノ−マスクの人物を黒マスク姿の2人が出迎えている。国際宇宙ステーションに滞在した宇宙飛行士の野口聡一さんが無事、地球に帰還した瞬間を伝える写真だった。記憶が妄想を伴いながら、ふくれあがった。
「そうか、宇宙にはコロナはいないわけだからな」「いやまてよ、野口さんが宇宙に飛び立ったのは約半年前。その時、地球全体はこの災厄の真っただ中。まさか、野口さんが宇宙にコロナを運んだりはしてないよな」「だとしたら、さあ大変、大宇宙戦争の勃発だ」…。マスクとノ−マスクの対照的な光景が予期せぬ方向へと想像力をかき立てた。そのことに逆にこっちの方がびっくりした。
「空気の無くなる日」(1949年)―。突然、70年以上も前の映画のシ−ンが目の前によみがえった。子どもたちが5分間、呼吸を止める訓練をしたかと思えば、自転車のチュ−ブや氷袋に空気をためようとするなどてんやわんや大騒ぎ。彗星が接近する「その年の7月28日」に5分間だけ、「地球上から空気がなくなってしまうそうだ」というデマに踊らされるドタバタ劇である。1円20銭だった氷袋が何百倍にも高騰するというあたりは、コロナ禍でのマスクの買い占めを彷彿(ほうふつ)させるではないか。当時の児童雑誌に掲載された同名の小説(岩倉政治著)の映画化で、私も恐るおそる見に行った記憶がある。
1日の感染者40万以上、死者4千人超―かたわらのテレビがインドにおける感染爆発の惨状を伝えている。医療用の酸素が不足して死に絶える人々、牛のふんを身体中に塗って、コロナ退散を願う怪しげなセラピ−とそれに群がる人びと…まさに“世紀末”さえ予感させる地獄絵におののいた。「空気がなくなる」という“荒唐無稽”が刹那(せつな)、現実化する錯覚に陥った。
“コロナ神”にきちんと向き合うためには「思考」の再起動が必要なのかもしれない。憲法から野口さん、インドの惨状…。その輪をちょっとだけ広げただけで頭の中のもやが少し、晴れたように感じた。17世紀のフランスの思想家、パスカルはその著『パンセ』の一節にこう書いた。「人間は自然のうちで、最も弱い一茎の葦(あし)にすぎない。だが、それは『考える葦』である」―。そういえば、いま読んでいる作家、辺見庸さんの近著のタイトルも『コロナ時代のパンセー戦争法からパンデミックまで7年間の思考』である。ちなみに、「パンセ」とは思考や思想を意味するフランス語。けだし、「記憶こそが思考を呼び起こす源泉」―である。
(写真は米宇宙船・クルードラゴン1号機から帰還した野口さん=5月2日、米フロリダ州沖のメキシコ湾で=インタ−ネット上に公開の写真から)
《追記―7》(続「“やらせ”要請」)〜みんなお金ほしいもん
「毘沙門叩き」を名乗る人から、以下のようなメ−ルが届いた。今回の議員としての最低限のモラルさえ逸脱した“やらせ”要請の余波は収まりそうもない。「お任せ民主主義」に安住してきた市民の間にやっと、危機感が現われたということなのかも知れない。
※
花北地区コミュニティ会議の地域に住んでいますが、今回の要望活動のことは知りませんでした。でも、みんなお金ほしいですよね。今回の要望した団体は市から補助金をもらっている組織ですよね。しょうがないですよね。今日、ワクチン接種の件で、ネットで騒ぎになっていますが、地方交付税が欲しいから、国の総務省の交付税課長とかいう偉い人から電話が来たら、選挙で選ばれた市長も我慢しなきゃいけないのが今の日本なんですよね。でも、同じようなことがここ花巻でも起きてるんじゃないかって。だから、コミュニティ会議の人たちも仕方ないですよ、市からたくさんお金もらってるんだもの。
《追記―8》〜まったく、性懲りもなく!?
「東西自由通路の早期実現を/9地区コミュニティ代表が要望書提出」―。“やらせ”要請の張本人と目される市議本人がそのことを“ゲロ”する内容の市政ニュ−スを発行した。日付は5月19日付で、ご丁寧にも「Mr.PO」(上田東一市長)と代表とが一緒に収まった写真まで掲載されている。「頭隠して、尻隠さず」とはよく言ったもんである。“確信犯”と言ったらいいのか、あるいはまるで幼稚なのか自らの犯行を“自供”する馬鹿正直に元議員の私の方が穴に隠れてしまいたくなった。まぁ、このご仁は「Mr」の言い分を引き出すのが狙いというのがミエミエ。まるで想定問答のように当の本人は以下のような受け答えをしている。小学生の学芸会以下だなぁ、ったく―
「地元からこのような声を上げていただいたことは大変、ありがたい。花巻市の活性化とまちづくりの拠点として、花巻駅周辺整備は重要。皆さんの要望や提言に応えていきたい」、「調査にもよるが、完成は令和10年度を目途としている。心配をおかけしたが、議員の皆さんや議員会派と話し合いをしていきたい」…。当市には地域活動の拠点としてのコミュニティが会議が全部で27ある。このわずか三分の一の要望が全体の意志を反映していると言えるのか。この問題をめぐる住民アンケート調査に回答したのはたったの56人にすぎない。