寒い車内のお陰か、朝は6時前には目が覚める。
かじやのある東町は昨夜の間に停電が復旧したらしく、いつものように電気が使える状態になっていた。これでやろうと思えばいつでも営業を再開できる状態にはなったけれども、市内はガソリン不足による酷い渋滞が続いており、まだまだ市民に外食する余裕はないのでとりあえずもう少し情報収集など、様子を見ることにした。もちろんうちの社長達も未だにいつ帰ってこられるかのめどが立たないし、スタッフもガソリン不足で外出を控えている状態、さらに地震による交通網の混乱、ガソリン不足による物流ストップで食材も安定供給されない可能性があった事も前提として頭にあった。
まず避難所に行ってポットのお湯をチェック。昨夜よりも沢山のポットが空になっていた。おそらく避難所の人たちに「お湯がある」と認知され、お湯を利用する方が増えたのだと思う。避難所の夜は寒かったと思うので、少しは役に立ったのかな。避難所のお湯は一日に3回ほど、空のポットをかじやに運び、再びお湯を沸かして補充し続け、常に切らさないようにする事ができた。ポットが沢山あって良かった。
壁に貼られた新聞や、市役所のテレビで情報を得る。市役所ではコンセント電源が解放されており、多くの方が携帯の充電に利用していた。同じ場所にあるテレビでは津波の様子や避難所の様子、行方不明者の安否情報などが常に流れており、沢山の人が静かに食い入るように見ていた。私も含め、それで初めて津波の映像を見た人も多かったと思う。とても現実とは思えない、信じられない光景にショックを受けた。
市内の主要信号機は復旧していたため、今日は青年会議所さんによる交通整理は無し。でもガソリン渋滞の交通整理は必要だったと思う。震災直後から続いたガソリン渋滞は本当に酷いものだった。震災後三日目くらいからはどこの給油所も深夜から給油待ちの車の列が出来始め、給油所の従業員さん達は毎日お客さんからの暴言や苦情などで大変そうでした。夜も強盗や襲撃が怖くて眠れなかったそうです。
日和佐さんでは昨日の夕方には電源が復旧しており、市役所そばで人通りも多い場所ということもあり既に営業を開始していた。様子を聞いてみると、こういう状況でなかなか買い物にも行けないから食べに来る人が結構いるようだった。
いつまでこういう状況が続くかもわからないのに、いつまでも休んでいても仕方ない。店を開けなければスタッフにも給料をあげる事もできない。それでは結局経済が回らないではないか。こういう状況だからこそ、赤字を承知でも営業を再開できるお店は再開するべきだと思い直し、すぐにスタッフに出勤できるかどうか確認し、さっそく明日からの営業を決めた。スタッフの一人には連絡を取ってもらったり、本当に色々とお世話になった。私一人ではお店も開けるに開けられなかった。
店に戻り、放置していた店内を片付け、明日の営業に向けて準備をした。停電で止まっていた冷蔵庫や冷凍庫の中身も、ほとんど開けずにいたため無事だった。震災後は雪も降って寒い日が続いていた事も幸いしたんだと思う。
夕方には再び避難所でポットの確認。市内の大部分で停電が復旧した事もあり、避難所の人数はかなり減っていたため、お湯の補充も体育館の給湯器で十分になっていた。お湯を届けるのも今回が最後に。
花巻の夜の繁華街「双葉町」でも停電は復旧していましたが、営業を再開しているお店はごく少なかった。震災による自粛ムードで、こんな時に飲みに来るお客さんなんていないっていうのも大きな理由の一つだったと思う。そんな中、いつもお世話になっている行きつけのお店が営業しているという事だったので、体は疲れていましたが、精神的にも凄い疲れていたので、明日の営業を前に少しリフレッシュしたくて行ってみました。
客は私一人。マスターも誰も来ないと思っていても、家で何もしていないよりは店開けてた方がマシ、というつもりで開けたらしい。私は震災後、何をしたら良いのか、何をしなければいけないのか、とにかく体も頭も動きっぱなしで結構疲れ果てていたのですが、マスターと地震の時の事やこれからのことなど、久しぶりのお酒を飲みながら、おっさん二人でゆっくり話しをすることでかなり心が癒され、精神的に落ち着きました。世の中がこういう状況の中、かじやも含め居酒屋さんなどのお店が営業をすることに悩んでいましたが、「それは社会活動だから」と言葉をいただいて、本当に勇気が湧きました。
自分が出来る事をいつも通りする事。
日常を取り戻すため、とにかく頑張るしかない!と、凄くスッキリした気持ちでその夜は再び車中泊しました。停電は復旧していたのですが、まだまだ大きい余震も多かったので。
たしかそんな感じの一日でした。
はなめいと|岩手県花巻市のコミュニティ
●私の2011年3月13日2012/03/13 18:40
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