全国的な豪雨被害のせいばかりではない。「あの日」以来どうも気分がすぐれない。あの日とはサッカ−ワ−ルドカップの対ポ−ランド戦で「1点差での敗北」を選択した”ギャンブル”戦法があった6月28日のことである。「日本は自陣に引きこもり、ポ−ランドもボ−ルを奪いに来ない。談合のようで失望した」、「攻撃サッカ−という自身の美学にとらわれず、指揮官の責任を果たすために決断した」(6月30日付「岩手日報」)…。甲論乙駁(こうろんおつばく)があるのは承知の上だが、この際、そのことにはあえて触れない。この稀有(けう)なる試合を見ながら、私はある感慨にふけっていた。北海道勤務を終え、東京本社に転勤になった際の挨拶状に私はこう書いた。28年前の1990年4月の日付がある。
「地下鉄の中で、分厚い本を手にした若い女性を見かけました。題名をのぞいて、ぎょっとしました。『常勝思考』。捨て石の山が地方に築かれている間に、中央は勝つことだけに熱中していたのでした。言葉の片鱗として『上昇志向』という程度の記憶しかない浦島太郎にとっては驚くべき出来事でした」―。聞き覚えのある新興宗教の教祖本だった。この国が敗戦の悪夢から脱却するために「勝つこと」だけにうつつを抜かすようになったのはこの頃からだったのだろうか。パス回しのような光景にこの国の政治のありようが二重写しになった。「モリ・カケ(森友・加計)」騒動こそが、勝つことだけしか頭にない「安倍一強」の常勝思考の現れではないのか。そうした思考がスポ−ツの世界にまで浸透しているのだとしたら…。
同時刻に戦われたセネガルーコロンビア戦で、セネガルが引き分けか勝利した時点で日本の決勝ト−ナメント進出は消滅する。結局、コロンビアが勝利し、日本は薄氷を踏むようなギャンブルに勝はしたが、「結果オ−ライ」で済まされるのであろうか。私のストレスの原因はこの辺にある。「もし、セネガルが勝っていたら…」―。日の丸鉢巻きの熱狂的なサポ−タ−はどう反応するのであろうか。多分、こうは言わないと思う。「だから、言ったじゃないか。ポ−ランド戦でも侍ジャパンの精神で堂々と戦うべきだった」―。手の平を返したようなこんなブ−イングは私にはとても予想できない。「自力ではなく他力に依存した」という点ではまさにいま現在の永田町の姿―革新の敵失に乗じた「パス回し」戦術そのものではないか。
「日本は茶番のような試合で、裏口を通って16強入りした」(英紙「インディペンデント」)―。欧米のメディアは辛らつだが、茶番は今回の試合だけに止まらない。カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムド−ルを受賞した「万引き家族」(是枝裕和監督、7月2日付当ブログ参照)に対し、安倍晋三首相がそっぽを向いていることにフランスのメディアが不満を募らせていることが話題になっている。是枝監督が安保法制に反対する「映画人/九条の会」に名を連ねていることが原因らしい。「常勝」軍団を率いる頭領ならではの幼稚な振る舞いである。
「サムライ精神、頑張った。ありがとう」―。かりに決勝ト−ナメントに進めなかったとしても、この国の多くの人々はこう言って、選手たちを拍手で迎い入れたにちがいない。私はそう思う。150年前、戊辰戦争に勝利した西軍は「官軍」と自らを称し、敗れた東軍を「賊軍」と蔑(さげ)すんだ。「勝てば官軍、負ければ賊軍、。…否、負けても官軍」―。選手たちの凱旋(がいせん)の光景を見ながら、こんな言葉が口からもれた。そう、この国はいまや「安倍」一色に染め上げられてしまったのではないのか……と。
オウム真理教の元代表、松本智津夫(教祖名、麻原彰晃)死刑囚ら7人の元教団幹部に対する死刑が6日、執行された。サリン製造の拠点が置かれていたのが、当時の山梨県上九一色(かみくいしき)村(現、富士河口湖町)だったことを不意に思い出した。縁起でもないが、「熱狂」と「狂信」とが一瞬、交錯するような錯覚を覚えた。死刑前夜でしかも豪雨災害のさ中、安倍首相や執行責任者の上川陽子・法相ら自民党議員がにこやかに乾杯している写真がネット上に出回っている。この人たちは一体、何に祝杯をあげているのだろうか。果たして、安倍「一神教」(ファシズム)の”勝利”に対してだったのかどうか…。我がニッポン国の「狂乱」状態は止まることを知らないようである。その元凶はもちろん、自由民主党、もとい”自由飲酒党”である。
(写真はチャ−タ−機で帰国した選手たちを待ち受けるサポ−タ−たち=7月5日、羽田空港で。インタ−ネット上に公開の写真より))