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異土の乞食と「乞食の子」、そして、賢治の命日に思うこと

2018/09/21 15:09/異土の乞食と「乞食の子」、そして、賢治の命日に思うこと

 

 「よしや/うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても/帰るところにあるまじや…」(9月18日付当ブログ「断捨離の彼方に」参照)―。室生犀星さま、それにしても余りにも強烈なふるさととの“決別”宣言ではありますまいか。大詩人のあなたに一体、何があったでのすか…。詩集『抒情小曲集』の冒頭に収められたこの詩は「ふるさとは/遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」という詩句で始まる。石川啄木が遠く離れた東京の地から望郷の歌をうたったのとは違い、この詩は犀星の生まれ故郷である石川県金沢市でつくられている。詩人の大岡信(故人)は以下のように解説する。

 

 「これは遠方にあって故郷を思う詩ではない。上京した犀星が、志を得ず、郷里金沢との間を往復していた苦闘時代、帰郷した折に作った詩である。故郷は孤立無援の青年には懐かしく忘れがたい。それだけに、そこが冷ややかである時は胸にこたえて悲しい。その愛憎の複雑な思いを、感傷と反抗心をこめて歌っているのである」(「大岡信ことば館」HPより=現在閉鎖中)。つまり、いったん故郷を捨てた“棄郷者”に対する、ふるさとからの容赦のない仕打ちを嘆いた詩なのであろう。「それにしても…」とふたたび、口をつく。「やはり、乞食を引き合いに出すのは尋常じゃないのではないか」と―。

 

 「乞食には家がない。…私たちが最もよく利用したのは墓地の中の百姓公廟であった。私たちは死人と眠ったのだ。そこにいれば人から白い目で見られることもなく、死者も私たちを連れていきはしなかった」―。台湾人作家、頼東進(ライ・トンジン)さんの手になるこの本のタイトルはずばり『乞食の子』(納村公子訳)である。「これ、すごいよ」と妻の葬儀の際に娘が置いていった。犀星の詩を口ずさんでいるうちに忘れていたこの本の存在をふと、思い出したのである。

 

 「墓場に寝て、犬の餌をあさって、家族のために生き抜いた少年の驚嘆と感動の半生」と帯にある。目が見えない父親と知的障がいがある母親の間には12人の子どもたちがいる。長男として生まれた東進さんが全国放浪のその「乞食」人生を自伝風に書いているのが本書である。舞台は1960年代の台湾。100万部を超す空前のベストセラ−になり、東進さん自身、1999年には各界で活躍する青年10人に贈られる「十大傑出青年」に選ばれた。これ以上の悲惨な生活はあるまいという記述が延々と続く。しかし、さげすみの視線の下に思わず、吹き出してしまいたくなるような文脈が出てくる。たとえば、「にせ乞食」を紹介したこんな一節―。

 

 「祭があるというので、乞食が群れをなして集まってきた。道々観察してみると、手や足がないふりをしている人もいれば、ある者は頭に黒い布を巻いて老婆を装い、ある者は泣いて身の上の不幸を訴え、あの世からもどってきたような者もいて、それぞれ奇妙な演出をしていた。…しかし私たちはこうした『同業者』のことを知っていた。これらの乞食の多くは昼間は人の目をごまかし、私たちにまじって物乞いをし、夜になるとかつらをかぶり、背広を着て居酒屋へ行き大酒を食らっているのである」―。このおおらかさは同じ島国といっても、大陸系の血が流れる台湾と日本との違いなのだろうか。

 

 当市・花巻出身の宗教学者、山折哲雄さん(87)は今秋、花巻市名誉市民の第1号に選ばれた。開教師の子としてサンフランシスコに生まれ、戦時中に母親の実家があった当市に疎開、高校卒業まで過ごした。当時の忘れられない“事件”について、山折さんはこう書いている。「それはいまでいうまことに陰湿な『いじめ』であった。…ある日5,6人の悪童に連れ出され、校庭の隅で取り囲まれた。『キンタマを出せ』とかれらはいった。いわれたとおりにすると、交代でそれをいじくりまわした。相手は多勢のことであり、私は泣く泣くその屈辱感に必死にたえねばならなかった」(『学問の反乱』)

 

 さらに山折さんは同書の中で、宮沢賢治についてこう記している。賢治自身、無名の時代には町衆から石を投げつけられるなどの迫害を受けた経験を持っていた。「故郷に骨を埋めるしかなかった賢治は、そのためにこそかえって、銀河系や四次元世界のような非現実的な空間を構想して、現実からの離脱をはかろうとしたのではないだろうか」―。賢治は銀河宇宙という広大無辺の空間を自分自身の「退路」として準備したのかもしれない。

 

 「功成(な)り、名(な)遂げた」―とたんに手の平を返したようにその「威光」におもねるのもまた「ふるさと」の習い性である。賢治の「イ−ハト−ブ」(夢の国)はいまや花巻市のまちづくりのスロ−ガンとして、高々と掲げられ、少年期にリンチという屈辱を受けた山折さんはそのまちの「名誉市民」に推挙されるという様変わりである。さて、「異国で乞食になったとしても絶対に戻らない」と“決別”宣言をした、あの大詩人の地元はどうなっているのだろうか。16年前に金沢市内の生誕地跡に「室生犀星記念館」がオ−プンし、HPにはこんな文面が張り付けられている。「犀星の生き方やその文学世界の魅力と出会い、ふるさとや命に対する慈しみの心への強い共感を呼び起こしていただけるものと思います」―。

 

 今日9月21日は賢治の命日に当たり、私の自宅近くの「雨ニモマケズ」詩碑の前では恒例の「賢治祭」が開かれた。全国から賢治ファンが集まり、かがり火を囲みながら夜遅くまで「賢治」を語り合うのが通例だが、この日は雨天のために会場を屋内に移して行われた。毎年参加してきたが、妻を亡くした今年はどうしてなのか、足を向けるような気分にはなれなかった。「ふるさととは一体、何者なのか」―。「乞食」人生を全国表彰する彼の国の大人(たいじん)の振る舞いにうなずきながら、私は日がな一日、そんなことを考えていた。ちなみに日本では「軽犯罪法 」(1条22号)で、こじきをし、又はこじきをさせることを禁止し、違反者には拘留又は科料の刑事罰が規定されている。この国はいつの間にか”こじき”を許容しない国になってしまったようである。

 

 

(写真は「乞食」人生を描いたライ・トンジンさんのベストセラー)

 

 

2018/09/21 15:09
ヒカリノミチ通信|増子義久

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