「バケツ一杯の土砂の投入に成功すれば、こっちの勝ち」―。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移転(新基地建設)をめぐって、現地では今月14日に予定される本格的な埋め立て工事を前に、海への死亡宣告ともいえる「無法状態」が続いている。土砂搬入作業に必要な県公共用財産管理規則や県赤土等流出防止条例などは一切、無視。防衛省は民間会社の琉球セメントの桟橋を利用するという姑息な“奇策”まで繰り出し、既成事実づくりにやっき。こうした法治国家の“無法”を許しているのは他ならない私を含めた本土側である。沖縄の地に足を踏み入れるだびにそんな思いにかられる。今回もそうだった。
地元紙などによると、辺野古へ土砂を運搬する船は6日午前7時ごろに桟橋に着岸した。午前8時ごろ、搬出作業を止めようと座り込む市民約25人を県警機動隊約80人が排除。土砂を積んだ工事車両が次々と琉球セメントの敷地内に入り、土砂はベルトコンベヤ−で船へと運び込まれていった。午前8時46分、辺野古で海上抗議を展開するカヌ−チ−ムがカヌ−10艇とゴムボ−ト1隻での海上抗議を始めた。土砂運搬船の作業員に向けて「新基地阻止」などと書いたプラカードを掲げ、土砂搬出停止を訴えた。石垣島での妻の散骨を終えた私もこの日、現場に入った。
「この現場で起きていることの責任は本土の一人ひとりにある。そっぽを向くことは許されない」―。マイクを握った男性が声を張り上げた。この言葉がことのほか、心に響いた。まるでジュゴンのように変身してサンゴ礁の海に消えた妻を見送ったあと、私は「一人」ということについて、考え続けていた。この日、抗議行動に集まったのは約150人。一人ひとりの「個」の集合体のようだった。そこには屹立(きつりつ)した確固たる意志が感じられた。その一方で、普天間飛行場がある宜野湾市議会は、辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票(来年2月24日)に反対する意見書を可決した。地元の対立を煽(あお)っているのも他ならぬ本土側の「無知・無関心」である。
「辺野古のジュゴン2頭不明/工事の騒音影響か」(12月3日付「琉球新報」)―。地元紙は周辺海域で生存が確認されていた3頭のジュゴンのうち、2頭が行方不明になっていることを伝えていた。妻の化身を思い浮かべながら、私はこの国の罪深さと遠い南の海で起き続けている「不条理」におののくしかない自分を叱咤(しった)したい気持ちにかられた。土砂積載の強行が再開された5日、福岡高裁那覇支部は、県が国を相手に岩礁破壊の中止を求めていた訴えを門前払いした。立法−行政−司法の三権がタッグを組んだ平成最後の”琉球処分”はこうして着々と推し進められている。故翁長雄志・前知事は4年前の11月、当選後初めて、辺野古の現場を訪れた際、こう述べた。
「沖縄の主張は世界に通用する。本当の民主主義とは何か、沖縄から発信していく」
(写真は琉球セメント前に陣取った抗議の人とそれを阻止しようとする警備員=12月6日午前10時すぎ、名護市安和で)