「女房に先立たれた夫は大体、2年以内に死ぬらしいぞ」―。歯に衣着せぬ知友のジャズミュ−ジシャン、坂田明さん(73)からこう忠告された。「健康に気を付けて、長生きしてください」という何か恩着せがましい励ましよりはずっと、ありがたい。一方で「逆もまた真なり」―、夫に先立たれた女房は長生きするというデ−タはこの長寿社会の中ですでに実証ずみである。私の場合はその逆になってしまった。ミジンコの研究者でもある坂田さんからいつだったか、「こいつの命はまるで透けて見えるんだよな」と顕微鏡をのぞかせてもらったことがある。本当にそう見えた。いやはや、命の中までお見通しとあっては…。というわけで、私は心機一転、新年早々からスポ−ツジムに通い始めたのだった。当年78歳―末期高齢者の悪あがき!?
本日29日で妻は没後6カ月を迎えた。坂田さんの定理に従えば、私に残された余命は最大であと一年半ということになる。「いい年をして、今さら命乞いか」という意地の悪いヤジに対しては、苦し紛れにこんな屁理屈を伝えることになる。「そうじゃない。残された1年半には身の回りの整理やこれまで不義理を重ねてきた友人知人へのあいさつなどやることがたくさんある。だから、それをやり遂げるまでは死ぬわけにはいかない。余命を全うするためのやむを得ざる予防措置だよ」―。「やもめ暮らし」を心配してくれる親切な人たちも後を絶たない。ある人が「死別は最大のストレス」というタイトルの新聞記事の切抜きを持って来てくれた。これにはまいった。ある大学教授がこんなことを語っていた。
「遺族ケアでリスクが高いのは高齢の男性。仕事一筋の現役生活を過ごした男性は、家庭や地域を顧みなかったツケが老後に回ってくる。交際範囲が狭く、ほぼ唯一の相談相手である妻に先立たれると、一気に日常が破綻する。下着が見つからないといった程度なら笑えるが、料理ができずに食生活が偏り、生活習慣病を悪化させたり、孤独感からアルコ−ルに頼ったりする人も多い。放置すれば孤独死しかねない。さらに厄介なのは、精神科医療への偏見が強いこと。受診を勧めても、『沽券(こけん)かかわる』などと抵抗。受診者の8割はやはり女性だ」(2017年9月15日付「岩手日報」)―。おいおい、これって、我輩のことではないのか!?そして、今度は…
「おいおい、これって、現代版の『タ−ヘル・アナトミア』(解体新書)ではないのか」―。ジム通いを始めて、これにはもっとまいった。胸、腕、腹、背中、肩、臀部(でんぶ)…。所狭しと置かれた健康器具にはまるで、“腑(ふ)分け”した人体解剖図のような写真が張り付けられ、使用方法が書かれている。「あっ、そうですか。腰の痛みとお腹の出っ張りですね」と若いインストラクタ−が親切に指導してくれる。平日の日中なので私のようなシニアが多い。みんな、何かに取りつかれたように器具を操っている。顔からは噴き出るような汗が…。みんな、そんなに長生きしたいのかなあ。
部位ごとに人工筋肉をこしらえていくさまはまるで、マシ−ンの奴隷ではないかとさえ思えてくる。目の前のテレビに熱中しながら、身体は規則正しい動きを継続する。これって、あの“人造人間”じゃないのか。ゾッとした。「で、おまえさんは何のためにここに来ているのか」―そんな自問が不意に口をついてでた。「うん、それはさ。さっきも言ったように命乞いではなく、つまりは“終活”を存在論(オントロジ−)的な視点で考えて見よう、と…。生き延びようとするのではなく、死を意識して生きるというということさ」(1月25日付当ブログ「『おためごかし』という偽善」参照)―。だんだん、応答がしどろもどろになってくる。
遠音にまたヤジが聞こえてきた。「そんなに格好をつけるんじゃないよ。あんたもしょせんは命が惜しいだけなんだろ」―。隣のシニア男性に負けず劣らず、身体全体から汗が噴き出してきた。ヤジの通りかもしれないなと思った。ひとりの老いぼれた“偽善者”がスポ−ツジムの片隅にぽつねんと佇(たたず)んでいる。さて、今晩の酒のさかなは何にしようかな。いやはや。それはそれとして…坂田大兄、生きる勇気を与えていただき、本当にありがとうございました。
(写真はスポ−ツジムの訓練のひとこま。いまやシニアの間でも人気が上昇している=インタ−ネット上に公開の写真から)