「あなたの粘り腰が実を結びましたよ」という開口一番に私は思わず、頬(ほほ)をゆるめてしまった。新基地建設(名護市辺野古)の反対運動の先頭に立つ金城武政さん(63)に再会するのは3年ぶり。「この内容ならヤマトの人たちもさすがにそっぽを向くわけにいかんでしょうね」―。「沖縄県民の気持ちに寄り添うことを求める」意見書には沖縄における米軍基地の偏重に触れながら、簡潔にこう書かれていた。「沖縄県民が深い悲しみの中にいる今こそ、その負担の軽減につなげ、これまでの敬意と感謝を示すためにも、沖縄県民の気持ちに寄り添うべきときである」
埼玉県川越市議会(三上喜久蔵議長、定数36)は昨年12月定例会に提出されていた「辺野古新基地中止」「普天間無条件返還」「沖縄県民の民意尊重」…の「3項目」請願を賛成10反対24で不採択とした。この請願には市民有志が街頭などで集めた5800筆の署名も添えられていた。議員のひとりが「川越市民のこの民意も無視することはできない」として、3項目だけを切り離して意見書を採択すべきだとする緊急動議を提出。その結果、「3項目」請願の反対に回っていた自公所属議員も一転して賛成に回り、全会一致で意見書採択が実現した。
「話し合いの原点は寄り添い。互いに無知・無関心を装って反目していたのでは何ごとも始まらない」と金城さんは言い、「そのことの大切さを気づかせてくれたのは実はあんただったのさ」と言葉を継いだ。郷土の詩人、宮沢賢治の理想郷「イ−ハト−ブ」をまちづくりのスロ−ガンに掲げている花巻市議会に在職中だった私は「ヤマトンチュ(本土側)が沖縄にどう向き合うべき」―を問うために金城さんを訪ねたのだった。3年ほど前の5月、その時の光景と身が震えるほどの悲劇の様相は消えることのない記憶として、私の体全体に刻み込まれている。
新基地建設が進む米軍キャンプ・シュワブに近い、いまでは閑散とした商店街の一角に中央アメリカ原産のブ−ゲンビリアが今を盛りと咲き乱れていた。「アポロ」(Apollo)というロ−マ字書きの店名が辛うじて読み取れた。ベトナム戦争のさ中、その一帯を占拠した歓楽街には米ドル紙幣が乱れ飛んだ。「従業員の女性に続いて、母親も米兵の手によって命を落としました」―。閉店して久しい「アポロ」の隣に住む金城さんは母親の遺影が飾られた仏間の前で絞り出すように語り始めた。2歳の時、基地建設の景気を当て込んだ両親とともに「普天間」から移住した。母親は針仕事が得意だった。その腕を生かした布団の製造販売が大当たりした。琉球刺繍を施した布団カバ−が米兵の人気だった。「米兵による布団ドロボ−にも手を焼いたが、故国の両親へのプレゼントの注文もあった。何しろサイズが特大なんで面白いように儲かった」―
米国は1969年7月、アポロ11号による人類初の月面着陸に成功した。「Aサイン(米軍専用)のバ−を開業したのはその直後だった。店名はこの成功にあやかって親父が付けた。当時はベトナム戦争の真っ只中。札束を握りしめた米兵たちがひっきりなしにやってきた。朝までドンチャン騒ぎの毎日だった」と金城さん。手仕事を身に付けたいと若い女性が母親に弟子入りした。バ−の人手が足りないので、店も手伝うようになった。金城さんが高校に入学した直後、この女性は別の町で米兵によって殺害された。当時、20歳だった。その顛末(てんまつ)も知らされないまま、事件はうやむやになった。
「ベトナムからの帰還兵はいつも浴びるように酒を飲んでいた。でも、まさか…」―。金城さんは仏壇をふり向きながら、呻(うめ)くように続けた。女性殺害事件の2年後、オ−プンを前にした店に米兵が押し入った。準備中の母親から10ドルを奪ったうえ、コンクリ−トブロックで頭を殴りつけて逃走した。即死状態だった。米兵は近くのホテルに「人を殺してきた」と自首した。長期勾留されたという噂(うわさ)を聞いただけで、その後、どうなったかは知る由(よし)もなかった。まだ、52歳の余りにも若い死だった。
今回再会した際、金城さんはタンスの奥からしわくちゃになった米ドル紙幣を取り出した。紙幣にはマジックで米兵の名前が書かれ、別れのメッセ−ジのようなメモも。「ベトナムに出征する兵士たちが店の壁に貼っていたものです。母親は米兵に殺されましたが、この紙幣の兵士たちの中にも生きて帰ることのできなかった若者がたくさんいます。それが戦争です。本土のあなたたちもその現実から目を背けないでください。あきらめないで、やれることをやってください」―。金城さんのこのひと言がずっと、私の背中を押し続けてくれたように思う。
私は昨年6月の花巻市議会定例会に川越市議会と同趣旨の陳情を提出したが、議長を除く25人全員の反対で否決された。一方、一部の議員の発議で提案された「辺野古埋め立て反対の沖縄県民の民意を尊重すべきだとする」―意見書は賛成16、反対9で可決された。そのことを報告すると、金城さんは「何事もあきらめないことです。あなたの粘り腰が川越市議会にも通じたのだと思う」と恥ずかしいほど持ち上げてくれた。それでもうれしかった。
基地建設で揺れる名護市内の飲食街で「雨ニモ負(マケ)ズ」(賢治の詩)の看板を掲げた居酒屋を見つけた。受難の記憶が刻まれた「アポロ」は店内を改装して、沖縄の有機野菜を使った食堂に生まれ変わることになっている。店名は「HeavenーHeaven」。辺野古の海が「天国」(Heaven)につながるようにとの願いが込められている。「腕を振るうのはナイチャー(本土からの移住者)の女性です。少しづつ、少しづつ…ね」―。金城さんがニッコリ微笑んで言った。
(写真は米兵たちが母親の経営するバーに残していったサイン入りのドル紙幣=1月9日、名護市辺野古の自宅で)