「つたの絡まるチャペルで祈りを捧げた日/夢多かりしあの頃の想い出をたどれば/懐しい友の顔が一人一人うかぶ/重いカバンを抱えて通ったあの道/秋の日の図書館のノ−トとインクの匂い/枯葉の散る窓辺 学生時代」(平岡精二作詞・作曲、1964年リリ−ス)―。ひとり酒のテレビから、ペギ−葉山が熱唱した懐かしい歌が聞こえてきた。思わず、唱和した。ハタと心づき、本棚の奥に眠っていた文庫本を取り出した。背表紙はボロボロになり、茶色に変色した行間に赤ペンの傍線がかすかに痕跡を残している。
アンドレ・ジッドの『狭き門』―。「誤りと無知とによって作られた幸福など、私は欲しくない。 幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。 幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすらに努力することではなく、努力そのもののうちに快楽を見出すことである」…。初恋の人にこの部分を丸写しにしたラブレタ−をそっと手渡したのも、そういえば図書館の本棚の陰だったな。真っすぐに顔を向けることさえできなくて、くびすを返すともう、一目散。60年以上も前の青春のひとこまが走馬灯のように流れていく。2番目の歌詞が流れてきた。
「讃美歌を歌いながら清い死を夢みた/何んのよそおいもせずに口数も少なく/胸の中に秘めていた恋への憧れは/いつもはかなく破れて一人書いた日記/本棚に目をやればあの頃読んだ小説/過ぎし日よわたしの学生時代」―。結局はふられてしまったが、意を決して彼女を賢治命名の「イギリス海岸」(北上川)に誘ったことがあった。当時、私たち高校生の間では「北上夜曲」(菊池規作詞、安藤睦夫作曲)がデ−トの成否を占うキ−ワ−ドのひとつとされていた。「宵の灯(ともしび) 点(とも)すころ/心ほのかな 初恋を/想い出すのは 想い出すのは/北上河原の せせらぎよ」…。顔をほてらせながら、私は必死になって歌った。彼女はじっと聞いてくれていたようだったが、それっきり音信は途絶えてしまった。
コロナ禍のうっとうしい日々、梅雨の合間を利用してイギリス海岸に足を運んだ。ふいに『方丈記』(鴨長明)のあの有名な一節が口元からもれた。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」―。81歳の老いぼれはこんな感慨に浸りながら、泡盛の晩酌をあおる。「死して生きるとは何ぞや。ワクチンにまですがって、生き延びようという我が性(さが)のわびしさよ」…などとボソボソとつぶやきながら。6月30日、2回目のワクチン接種。
(写真は悠久の流れという言葉がぴったりのイギリス海岸)