「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ」(水平社宣言)―。ちょうど100年前、被差別部落の人々の解放を目指して全国水平社が設立され、冒頭のような“人間解放”宣言が発せられた。節目の今年、部落問題をテ−マにした島崎藤村の代表作『破戒』が60年ぶりに映画化された。この作品は1948年(木下惠介監督、池部良主演)と1962年(市川崑監督、市川雷蔵主演)に続き、3度目の今回は前田和男監督、間宮祥太郎主演。原作刊行から116年―、現代社会に息づく差別の実態を鋭くえぐり出した。
先の市議選の疲れを癒(いや)そうと今月初め、盛岡の映画館に足を運んだ。部落解放運動に情熱を傾ける運動家の言葉にぎくりとした。「差別というものは、人の心から簡単に消えはしないような気がするんだ。よしんば、部落差別がなくなったとしても、その時は新しい差別が生まれているかもしれない」。頭から消し去ろうとしていたあの言葉がまるで鵺(ぬえ=妖怪)みたいにぬっと、たち現れた。映画鑑賞の2日前、私のブログ(7月30日付参照)に「イ−ハト−ヴ市民」を名乗る人物からコメントが送られてきた。
「まずさ。あんたの場合、票数的にも箸にも棒にも掛からない感じだったんだから、終わってから負け犬の遠吠えみたいに騒ぐのやめな。そんな老害に今さら、何ができんの。時代はもう変わってんのさ」―。ヘイトスピ−チやいじめ、セクハラ、パワハラ…。「時代は逆回りしているのではないか」…映画を鑑賞しながら、つくづく思った。「時代は変わるどころか、ますます陰湿な形で“新しい差別”が蔓延している。そして、わが郷土の詩人、宮沢賢治が『夢の国』と呼んだ理想郷・イ−ハト−ブの地には腐臭が立ち込めつつある」―と。さながら、「風の谷のナウシカ」(宮崎駿)を彷彿(ほうふつ)させる光景ではないか。
こんな会話が印象に残っている。「人間というのは、それほど愚かな生き物なのでしょうか」(主人公の丑松)、「愚かなのではない。弱いのだ。弱いから差別するのだ」(運動家)
(写真は現代版映画「破戒」のポスタ−)
《追記》〜部落解放同盟の委員長に就任した西島藤彦さん(69)
=8月30日付朝日新聞「ひと」欄より
〜地元の女性から相談を受けたことがある。結婚を約束した男性の両親らが、女性の家族の戸籍を入手。父親が部落出身だとして結婚に反対され、初めて女性は自分の出自を知った。「差別を避けようと出身地を離れても、差別が追いかけてくる実態が残っている」。被差別部落出身者による日本初の人権宣言といわれた「水平社宣言」から100年。島崎藤村の小説「破戒」の映画製作にかかわり、7月公開された。出身を名乗るか否かで葛藤する主人公の苦悩は、性的少数者ら現代のマイノリティ−に通底する。「出自を暴かれる恐れを抱き、人に語れない内面を抱える人々と手を携えていきたい」