東日本大震災(3・11)で児童74人(うち、行方不明4人)と教師10人の命が奪われた大川小学校(石巻市)の旧校舎はいま、震災遺構として現状保存されている。その山際に面した野外ステ−ジには「未来を拓く」(校歌のタイトル)というスロ−ガンを掲げた巨大な壁画が張りめぐらされ、一角には宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の一節や銀河鉄道が宇宙を飛ぶ光景が描かれている。震災10年前の「平成13年卒業制作」とある。詩の冒頭部分の「雨」と「風」は削り取られ、津波のすさまじさを伝えている。
ドキュメンタリ−映画「生きる」(寺田和弘監督、2022年)は23人の遺族(19家族)が石巻市と宮城県を相手取った「国家賠償」訴訟の記録である。2019年10月、最高裁は上告を棄却し、学校側や市教委が避難訓練を怠るなどした「平時からの組織的過失」を認めた仙台高裁判決が確定した。「裁判史上、画期的」と言われた判決に感動を覚えつつ、私は壁画に刻まれた賢治の詩を複雑は思いで反芻(はんすう)していた。わが子の「生と死」の意味を問い続ける遺族たちに向けられる容赦のない誹謗中傷とバッシングの嵐…。スクリ−ンに見入りながら、「賢治」という“両刃の剣”(2月19日付当ブログ)の危うさを改めて思い知らされた気持ちになったのである。
「北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ」―。「雨ニモマケズ」の後半部分にこんなくだりがある。裁判を担当した吉岡和弘弁護士はこの詩句について、パンフレットの中でこう語っている。「日本社会には今なお、『裁判などはしてはならない』という法意識が通奏低音のように国民の身体に染みついている。一方、我が国の行政組織内には『行政は誤りを犯さない。犯してはならない』という行政無謬性(むびゅうせい)論がはびこる。官側に立つ者らはそうした無言の圧力に押されるように『ミスは犯していない』と言い張り、『真実を知りたい』と願う遺族たちと衝突する」―
「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ」―。英訳もされた賢治のメッセ−ジは世界中に飛び交い、ボランティアの背中を押した。しかし、その「受難」の地では逆にこのメッセ−ジの危うさが醜い形で露呈していた。「(裁判は)金欲しさからだろう」「殺す」「火をつける」…「二度殺された思いになった」という遺族の言葉に身体が震えた。同じ画面では当時の市長が「これが自然災害における宿命だと思っております」とくどくどと弁明を繰り返していた。「賢治」の真意を自分に都合の良いようにねじ曲げたその卑劣さに怒りさえ覚えた。
「夜の湿気と風がさびしくいりまじり/松ややなぎの林はくろく/そらには暗い業の花びらがいっぱいで/わたくしは神々の名を録したことから/はげしく寒くふるえている」(1924年10月5日)―。賢治の詩編に「業の花びら」と題した作品がある。底なしの沼に引き込まれるような闇の深さを感じる一篇である。映画「生きる」を鑑賞する2日前の今月24日、NHKBSスペシャルで「業の花びら〜宮沢賢治 父と子の秘史」という番組が放映された。これまであまり表立って語られることがなかった賢治の「同性愛」や宗教的な葛藤に向き合った内容で、以前にも同じ視点で番組を制作したテレビディレクタ−の今野勉さんが手がけた。この作品で父親の政次郎は実は詩碑の文面を「雨ニモマケズ」ではなく、この「業の花びら」にしたかったという“秘話”を初めて知った。
詩碑は私の自宅から歩いて数分の「旧羅須地人協会」跡地に建っている。映画鑑賞の数日後、私は詩碑の賢治に向かって報告した。「賢治さんはいまもあちこちでモテモテです。親子に焦点を当てた『銀河鉄道の父』という映画が製作されたり、果てはポストコロナの世のあり方の予言者であるとか…。でも、その神出鬼没ぶりに娑婆(しゃば)の人間は若干、翻弄(ほんろう)され気味でもあります。そんな時は『おら、そんなつもりじゃねがったすじゃ』」とサインを送ってくださいね」。そして、ハタと我に返った。「津波裁判の隠ぺい体質は賢治のふるさと・イーハトーブ花巻でもまったく、変わらない」と…
(写真は旧大川小学校の巨大壁画。「世界がぜんたい幸福にならないうちは…」という『農民芸術概論綱要』の一節やおなじみの賢治のシルエット姿も残っている=インタ−ネット上に公開の写真から)
《追記》〜賢治の”聖者伝説”にも時代の波か!?
上記のテレビ番組を観ながら、不思議な感慨にとらわれた。たとえば、これまでタブ−視されてきた「同性愛」を扱ったこの番組に宮沢家の近親者や研究者が出演していたからである。LGBT(性的マイノリティ)に対する権利拡大が世界的な潮流になる中、賢治の”聖者伝説”もその時代の波に乗って、変化しつつあるということかもしれない。新しい伝説の誕生か…