「(4月)10日付『大分知事選 草根の安達氏勝利』は誤りでした。掲載すべき記事を取り違えました。おわびして取り消します。正しい記事と見出しを掲載します」―。4月11日付の岩手日報の片隅にこんな訂正記事が載った。知事選の当落を取り違えるというメディアにとっては前代未聞の致命的なミスである。選挙報道に携わった経験から言えることは「当落ミス」は犯してはならない最低限の生命線だということである。この地元紙に一体、何が起きているのか。危機管理の低下や機能不全をうかがわせる予兆は実は私の周辺にもあった。
新花巻図書館の立地場所をめぐる「日報論壇」が3月から4月初めのわずか1週間の間に3本掲載された。同一テ−マでの集中掲載は異例のことである。私の投稿が「新図書館 分断なき議論を」(4月5日付)と題して掲載された翌6日、それに対する反論めいた投稿が「図書館整備へ 冷静な対応を」として同じ欄に載った。このタイミングの良さにも眉に唾をつけたくなったが、投稿者の肩書…「新花巻図書館―まるごと市民会議代表」にまた、びっくりした。投稿者自身が3月29日付の自らのFBでこう書いているにも関わらず、である。「代表の立場を後任に譲り、この肩書で任命されていた『新花巻図書館整備基本計画試案検討会議』の委員も自動的に3月いっぱいで退任することになった」
私は後任の代表にも経緯を確認した上で、4月8日付で担当者に対し「事情を知らない読者の中にはこの投稿が会の総意を表すものと受け取られかねない。肩書を詐称していたとすれば、その確認を怠った側の責任も問われる」として、事実関係を確認した上で紙面上での訂正を申し入れたが、1週間たった今もナシのつぶて。投稿規程には連絡先の記入も義務付けられており、確認は電話一本で済むはずである。この辺にもこの新聞のリスク管理の脆弱さが見て取れる。時を同じくして「週刊文春」(4月13号)に「岩手県の県紙、岩手日報でク−デタ−らしい」という内容の囲み記事が載っていた。17年間続いたワンマン社長の交代劇を伝えるスキャンダルだった。
実は私は「まるごと市民会議」の立ち上げに関わったひとりである。その機関紙「ビブリオはなまき」(2021年5月)の創刊号にこう書いた。「“図書館戦争”はもちろん、終結を見たわけではない。それどころか、戦火は今後ますます、激しく燃え盛ることが予想される。市議会側や一部の市民運動が『立地』論争にシフトしていく中で、『ハ−ドより、ソフトを』という当会の基本理念は微動だにするものではない。ひたすら『王道』を歩み続けるのみである」―。その後、事情があって退会したが、私自身の立ち位置はいまも「微動」だにしていない。
あの時からもう2年近くが過ぎた。過熱さを加える「イ−ハト−ブ“図書館戦争”」は行政や議会、市民運動、これにメディアも参戦して、まるで泥沼の様相を呈しつつある。諸悪の根源が奈辺(なへん)にあるかは明々白々だが、それにしても酷(ひど)すぎやしないか…。確信をもって、断言できることは当地の行政もメディアもすでに瀕死の状態にあるということである。
(写真は肩書詐称が疑われる「日報論壇」=4月6日付)