花巻市長、上田 東一 殿
連日のコロナ危機への対応に感謝を申し上げます。パンデミック(大流行)の兆しは地球規模に広がりつつあり、一刻の猶予も許されない緊迫の状況が続いています。幸い、現時点で当市への感染拡大は食い止められていますが、この未知のウイルスがいつ侵入してくるのかは誰にも予測できません。市民の安全・安心を守り抜くため、行政トップとしてのさらなる行動を期待します。
ところで、上田市長は3月2日、国の要請にこたえる形で、小中学校などの一斉休校に踏み切り、同時に地域活動の拠点でもある27か所の「振興センタ−」などほぼすべての公共施設についても一斉の休館を断行し、この措置は4月いっぱい続けられることがHP(ホ−ムペ−ジ)で公表されました。「コロナに屈しない」という断固たる決意表明と受け止めるのにやぶさかではありませんが、地域インフラともいえる振興センターや図書館の閉鎖など県内の他の自治体に比べてあまりにも突出した方針に違和感を抱いたのも事実です。この間の政策決定の経緯が不透明だったということもその大きな要因だと考えます。
こうした“自粛”ムードの中で、私たち市民はどのような日常を強いられてきたのか。事情はそれぞれ違うと思うので、その一端を私個人のケ−スに限って紹介する身勝手をお許しください。私はコロナ禍の真っただ中の3月11日(この日はちょうど、東日本大震災9周年に当たりました)に満80歳の誕生日を迎えました。1昨年夏に妻を亡くし、今年1月からコミュニケ−ション不足を補うため、主にシニア世代のイベントが行われる「まなび学園」(生涯学園都市会館)に通い始めました。まさに「80の手習い」である陶芸や童謡を歌うサ−クルに参加、喪失感が少しずつ薄れてきた矢先の休館でした。そして、最初は(3月)19日まで、次いで31日までに延長され、結局、4月末までの約2ケ月の休館となりました。
「緊急事態宣言」の発動が取りざたされる中で「いまは辛抱するしかない」と覚悟を決めていましたが、私が“マスクマン”騒動と呼んだ事態が発生するに及んで、考えが変わりました。上田市長は3月24日、大きなマスク姿で来客対応に当たり、この様子が翌日の地元紙に掲載されました。その時は「さすが、コロナ最前線に立つ指揮官」とある種の共感さえ覚えましたが、3日後の27日の来客対応の際はマスクなしの素顔でした。「マスク着脱の真意は一体、何だったのか。花粉症か風邪症状のため、エチケットとしてマスクを着けたのか。あるいは単なるパフォ−マンスだったのか。分別を欠いたその振る舞いが市民のあらぬ不安をかき立てるとは思わなかったのか」(この間の動きについては25日付当ブログやコメント欄参照)―。写真撮影の際などは逆にマスクを外すのが普通の感覚であるはずなのに、そのいでたちのままで新聞に登場する…何かあなたの“底意”を垣間見た気持ちになりました。
同じ日の夜、NHKの「ニュ−スウオッチ9」に目が吸い寄せられました。ノ−ベル賞受賞者で京都大学IPS細胞研究所長の山中伸弥さんがコロナ危機のインタビュ−に応じる場面でした。マスク姿の桑子真帆アナウンサ−が「時節柄、こんな姿で失礼いたします」と切り出すと、山中さんはこう応じました。「本当はマスクしたほうがいいと思いますが、今日は自分が新型コロナウイルスに対して持っている危機感であったり、いろんな思いをできるだけたくさんの人に感じ取っていただきたいので、あえてマスクをはずしてインタビュ−に臨みます」。私はこの誠実さに胸が熱くなりました。
八方ふさがり状態の男やもめにとって、唯一の救いはスポ−ツジムです。ウォ−キングマシ−ンや各種の筋トレ器具は24時間、稼働しています。インストラクタ−や従業員が総出で殺菌消毒に当たり、換気にも絶えず気を使っています。「やっぱり、利用者はいつもよりは少ない。だから逆に、三密(密室、密集、密接)の心配はないのでは…。家に閉じこもってばかりでは、逆に気持ちが落ち込むだけですもんね」と彼女彼らは笑顔で励ましてくれます。「ひょっとすると、ここが一番の安全地帯なのかもしれない」と私も一日おきのジム通いを欠かしません。山中さんはインタビュ−の中でこうも語っています。
「私たち全員が普段社会に守られて生きている。平和なときには気付かないが、医療、福祉、学校などいろいろなものに守られて研究もできている。今、ウイルスは一人ひとり個人に対する脅威でもあるが、それ以上に社会に対する脅威である。本当に強い危機感を持っている。…日本だけでなく人類がウイルスに試されているというか、うまく対処すれば、やっつけることはできないが、うまくつきあえる。きっと1年後2年後には季節性インフルエンザと同じぐらいのつきあい。季節性インフルエンザよりはもうちょっと高齢者は気を付けたほうがいいねというぐらいの状態に1〜2年後にはもっていけると思う。いつまでも続くものではない」―
今回のパンデミックのような世界危機の場合、たとえば「メルケル」演説(26日付当ブログ参照)が訴える指導者(リ−ダ−)の「言葉の力」や山中さんのような専門家の知見が人々をいかに勇気づけるか―という思いを強くしました。そんな折、今度は陶芸の仲間が「長期間の休館でせっかくの粘土が固まってしまうかも。でも、何とかするから」と声をかけてくれました。目頭が熱くなりました。
私もそのひとりですが、市民の多くが品不足のマスクを買い求めて連日、さ迷い歩いています。この切羽詰まった光景と顔を覆いつくすようなあなたのマスク姿を想い比べているうちに、ふいに背筋が凍りつくような言葉が口をつきました。「暗愚魯鈍」(あんぐろどん)―「愚かで鈍く、道理に暗い」とはこのことか、と。つまり、コロナ鬱(うつ)に苦しむ末端市民の実情をどの程度把握したうえで、あなたがコロナ対応に向き合っているかがさっぱり見えてこないのです。最高学府で法律を修めたあなたは当然のことながら、憲法が自治体の裁量権を認めた「地方自治の本旨」についてはご存じのはずです。「危機管理」に際し、最も試されるのはこの原理・原則。あなたの得意技である「現場」を無視した”トップダウン”方式は絶対に避けなければならない鉄則なのです。
上田市長―、あなたがいま、身を置いている市庁舎の執務室は私たち有権者があなたに市政運営を託した場所であることを忘れてないでください。その神聖な場所から、この危機に際しての心のこもったあなたのメッセ−ジを発してほしいと切に願っています。YouTube(ユ−チュ−ブ)でも議会用のインタ−ネット中継で何でも結構です。わが宰相を含め、世界各国の首脳たちがいま、国民に向かって必死の呼びかけを続けています。「新図書館」構想に計上した予算案を撤回するなど、最近のあなたの考え方がさっぱり分からなくなりました。「イ−ハト−ブはなまき」の行く末を担うあなたの真実の声をぜひ、聞かせてください。もちろん、”パワハラ”疑惑についても…
フランスの作家、アルベ−ル・カミュのノ−ベル賞受賞作『ペスト』(1947年)は中世ヨ−ロッパで、人口の3割以上がペスト(黒死病)で死亡したパンデミックを扱った作品です。主人公の医師、リウのこんな言葉が記憶に残っています。「……今度のことは、ヒロイズムなどという問題じゃないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです。一般にはどういうことか知りませんがね。しかし、僕の場合には、つまり自分の職責を果たすことだと心得ています」(新潮文庫)―。感染予防を含めた市民の不安を払拭(ふっしょく)することこそがいま、あなたに求められて「職責」なのです。”パフォーマンス”などに憂(う)き身をやつしている暇などあろうはずがありません。
ウイルスとのたたかいを「戦争」や「国難」になぞらえる言説が大手を振って、まかり通っています。この時代の雰囲気にいやな予感を覚えます。3月25付当ブログで触れた“寄生獣”のことを思い出すからです。私は「ウイルスとうまく付き合う」という山中さんの考えに賛同します。『ペスト』は医師であるリウの次のような不気味な言葉で閉じられています。
「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古(ほご=書きそこないの紙)のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストがふたたびその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろう」―
長々と書き連ねてしまいました。これも「コロナ鬱」のなせる業(わざ)なのかもしれません。こんな形での伝達をご容赦ください。
2020年3月30日
花巻の一市民、増子 義久(花巻市桜町3−57−11)
(写真は来客の応対などに利用される執務室兼応接室で、まちづくりのインタビュ−に応じる上田市長=インタ−ネット上に公開の写真から)