コロナ禍のイタリアから発信された若手作家のメッセ−ジが全世界を駆けめぐっている。処女作の『素数たちの孤独』(2008年)がいきなり、最高の文学賞「スト−ガ−賞」を受賞して彗星のように現れたパオロ・ジョルダ−ノ(37)。アメリカに次いで2番目に多いコロナ死を記録した非常時の現場からの報告は27編を収録した『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳、早川書房)にまとめられ、いま世界27カ国で緊急刊行中だという。「パラドックス」という一編にこんな文章がある。
「つまり感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって?僕たちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ」―。日本語の翻訳本には表題に掲げたイタリア紙「コリエ−レ・デッラ・セ−ラ」(3月20日付)への寄稿文も添えられている。私は子世代の若者からの言葉のひとつひとつをまさに粛然たる気持ちで受け止めた。たとえば、「非常時」の日常化の恐ろしさとか…。日本は本日(29日)から非常事態宣言下の大型連休に入った。この「隔離の時間」を有効に過ごすために、寄稿文を3回に分けて転載する。
「何を考えろって?」…パオロは「何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか」―を自問自答しているようである。「非常の時 人安きをすてて人を救ふは難いかな。非常の時 人危きを冒して人を護るは貴いかな」―。花巻空襲の際、当地に疎開していた詩人の高村光太郎が看護婦たちの献身的な働きをたたえて創ったとされる詩「非常の時」…。その一節をカ−ドに添えた手作りマスクが評判になっているという地元紙の記事に接した。このことの意味を含めて、「パオロ」メッセ−ジの行間に目を凝らしてみたいと思う。ズバリ言うと、非常時の“献身”の尊さと、安直な”ヒューマニズム”の危うさについて―
「スペイン風邪」パンデミックから100年―。ほとんどの現人類にとっての”初体験”である今回のコロナ禍を前に、いまはただ頭(こうべ)を垂れるしかあるまい。
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コロナウイルスの「過ぎたあと」、そのうち復興が始まるだろう。だから僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのかを。
このところ、「戦争」という言葉がますます頻繁に用いられるようになってきた。フランスのマクロン大統領が全国民に対する声明で使い、政治家にジャ−ナリスト、コメンテイタ−が繰り返し使い、医師まで用いるようになっている。「これは戦争だ」「戦時のようなものだ」「戦いに備えよう」といった具合に。だがそれは違う。僕らは戦争をしているわけではない。僕らは公衆衛生上の緊急事態のまっただなかにいる。まもなく社会・経済的な緊急事態も訪れるだろう。今度の緊急事態は戦争と同じくらい劇的だが、戦争とは本質的に異なっており、あくまで別物として対処すべき危機だ。
今、戦争を語るのは、言ってみれば恣意的な言葉選びを利用した詐欺だ。少なくとも僕らにとっては完全に新しい事態を、そう言われれば、こちらもよく知っているような気になってしまうほかのもののせいして誤魔化そうとする詐欺の、新たな手口なのだ。
だが僕たちは今度のCOVID−19流行の最初から、そんな風に「まさかの事態」を受け入れようとせず、もっと見慣れたカテゴリ−に無理矢理押しこめるという過ちを飽きもせず繰り返してきた。たとえば急性呼吸疾患の原因ともなりうる今回のウイルスを季節性インフルエンザと勘違いして語る者も多かった。感染症流行時は、もっと慎重で、厳しいくらいの言葉選びが必要不可欠だ。なぜなら言葉は人々の行動を条件付け、不正確な言葉は行動を歪めてしまう危険があるからだ。それはなぜか。どんな言葉であれ、それぞれの亡霊を背負っているためだ。たとえば「戦争」は独裁政治を連想させ、基本的人権の停止や暴力を思わせる。どれも―とりわけ今のような時には―手を触れずにおきたい魔物ばかりだ。
「まさかの事態」が僕たちの生活に侵入を果たしてから、ひと月になる。肺のもっとも細い気管支にまで達するウイルスのように油断のならぬそれは、もはや僕らの日常のあらゆる場面に現れるようになった。ただのゴミ出しに弁解が必要になる日が来ようとは、誰も想像したことがなかったはずだ。まさか、市民保護局が毎日行う感染状況発表の内容に合わせて自分たちの暮らしを調整する羽目になるなんて。まさか―よりによってここで、それも僕たちが―愛する者に看取(みと)ってももらえず、寂しく死ぬことになるかもしれないなんて。しかもその葬儀は音ひとつせず、立ち会う者ひとりいないかもしれないなんて(訳注:2020年4月5日現在、感染拡大防止のため冠婚葬祭を含む一切の集会が認められていないため)、誰が想像していたろう?にもかかわらず。
2月21日付の『コリエ−レ・デッラ・セ−ラ』紙(訳注:イタリアを代表する日刊紙のひとつ)は、コンテ首相とレンツィ元首相がふたりきりで会談したというニュ−スを一面トップに置いた。ふたりきりで何を話した?誓って言うが、僕は覚えていない。コド−ニョ(ロンバルディア州ロ−ディ県の町)で最初の「綿棒(タンポ−ニ)」陽性患者が出たというニュ−スが同紙の編集部に届いたのは前夜の1時過ぎと遅かったため、その知らせは最終版一面の右端の段にぎりぎりで押しこまれた。僕らの多くはコド−ニョという地名を聞くのも初めてなら、ウイルステストの通称としてタンポ−ニという言葉が使われるのを聞くのも初めてだった。翌朝、コロナウイルスは、一面トップのタイトルという栄光の地位を獲得した。そして二度とその場を譲ろうとはしなかった。
(写真はその発信力が注目されているパオロ・ジョルダ−ノ=インターネット上に公開の写真より)