緊急事態宣言が発令された前後から、日を経ずして本が届くようになった。差出人はきまって「コロナ神」である。もう20冊以上になったが、その中の一冊の『大地よ!』が朝日新聞一面の長寿コラム「折々のことば」の筆者である哲学者の鷲田清一さん(70)の手元にも送られてきたらしい。この本の一部を引用して、鷲田さんはこう記している。「大地、火、水、風。生きとし生けるものを養うもの。それらをアイヌの人々は神(カムイ)と呼び、他の生き物たちと奪いあうのではなく分かちあうものと固く思ってきた。その文化が潰(つい)えかけている。だから今はアイヌを『語る』よりも『起こしたい』のだと」(5月28日付)
本の副題に「アイヌの母神」とある。“母神”とはアイヌ語で「フチ」を連想させる表現で、おばあさんに対する尊称でもある。筆者である宇梶静江フチ(87)と出会ったのはもう30年以上も前のことである。「アイヌはね。いつだって、カムイと一緒なんだよ」とフチは口を開くとそう言った。行きつ戻りつ、その世界観を垣間見る日々を過ごしてきた。同書はコロナ禍のさ中の3月3日に発行された。表紙裏に講演録の一節が載っている。
「いま私たちは、現代文明のなかで、人間とは何か、人間らしい生き方とは何かを問われています。アイヌの精神性は現在、地球が抱えているさまざまな困難に光を投げかけることができると思っています。そして、その先住の民の光は、人間であることの根源から生まれてくる光なのだと思います」―。20年近く前、ハ−バ−ド大学で行われた講演の一部である。コロナ禍に遭遇した際、私は真っ先に宇梶フチのこの言葉を思い出した。そして、思った。「コロナとは、カムイモシリ(神々の国)から地球という惑星に遣(つか)わされた新入りのカムイではないのか」と…
「パヨカカムイ」(徘徊する神=病気の神)―。アイヌ民族にとっては「病気」もカムイ(神)の眷属(けんぞく)であることについては、当ブログ(4月5日付と同24日付)でも再三、触れてきた。だから、今回の新型コロナウイルスもアイヌの精神世界ではれっきとしたカムイの一員なのである。地球狭しとウイルスをまき散らし続ける「コロナ神」からのメッセ−ジが耳元に聞こえてきた。「地球人のあなた方と仲良くしないことには、わしらも住む場所がだんだん、狭くなってしまう。ともに生きるしかないじゃないか」―
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特別定額給付金(10万円)の使い道について、あれこれ考えた。齢(よわい)80歳にして今さら「新しい生活様式」でもあるまい。だったらいっそのこと、残り少ない人生をコロナ神との対話に費やすのも一興ではないか。「コロナよ、お前さんはなぜ今ごろになって、我われの前に突然、姿を現わしたのかい」…。というわけで、勢いその関係の本が多くなった。残余金はまだある。どんな本が届くのか、これからも楽しみである。以下、6月3日現在のコロナ神から贈呈本一覧〜
●「まつろわぬ者たちの祭り―日本型祝祭資本主義批判」(鵜飼哲著)
●「郷愁―みちのくの西行」(工藤正廣著)
●「方丈記私記」(堀田善衛著)
●「ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊」(村上陽一郎著)
●「病魔という悪の物語―チフスのメアリ−」(金森修著)
●「感染症と文明―共生への道」(山本太郎著)
●「ゼロリスク社会の罠―『怖い』が判断を狂わせる」(佐藤健太郎著)
●「21Lessons―21世紀の人類のための21の思考」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)
●「モンテレッジォ―小さな村の旅する本屋の物語」(内田洋子著)
●「コロナ禍の時代の表現」(新潮2020・6)
●「ペスト」(ダニエル・デフォ−/平井正穂訳)
●「大地よ!アイヌの母神、宇梶静江自伝」(宇梶静江著)
●「コロナの時代の僕ら」(パオロ・ジョルダ−ノ著)
●「人は、なぜ他人を許せないのか」(中野信子著)
●「カタストロフ前夜―パリで3・11を経験すること」(関口涼子著)
●「サル化する世界」(内田樹著)
●「感染パンデミック―新型コロナウイルスから考える」(現代思想5)
●「幻化」(梅崎春生著)
●「山海記」(佐伯一麦著)
●「アイヌと神々の物語―炉端で聞いたウウェペケレ」(萱野茂著)
●「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)
●「呪文」(星野智幸著)
●「思想としての<新型コロナウイルス>」(河出書房新社編)
(写真は「コロナ神」からプレゼントされた本の一部。もう少し届きそう。待ち遠しい)
《追記》〜コロナ神へのカムイノミ(神への祈り)
コロナ拡大を受け、北海道弟子屈町のアイヌ民族の有志らが18日、病気の神が人間に近づかないよう祈りの儀式を行った。民族衣装をまとった男女約40人が、病気の神「パヨカカムイ」に向けて思い思いの踊りを披露。音楽に合わせ、魔よけの効果があるとされるクマザサで宙を突いたり、両手で持ったアイヌ文様の布を上下左右に振ったりした。「弟子屈町屈斜路古丹アイヌ文化保存会」の豊岡征則会長によると、アイヌ民族の共生の精神に基づき、儀式は病気の神を退治することを目的にしなかった。「儀式で『何とか鎮まりください。お互いに生きていきましょう』とお祈りした」と話した(4月18日付「秋田魁新報」=共同配信)