「こっちの足元もお先真っ暗だなぁ」―。安倍晋三首相の突然の辞意表明のテレビニュ−スを聞きながら、心底、そう思った。集合住宅付き「図書館」という奇怪な新図書館構想をめぐる議会と当局双方の迷走ぶりに「もう、首長と議員(議会)との同時リコ−ル(解職請求)しか道は残されていないのではないか」とそんな絶望感に襲われたのである。地方自治の両輪である「二元代表制」という大原則が崖っぷちに立たされている。
花巻市議会に設置された「新花巻図書館整備小委員会」(伊藤盛幸委員長)が28日開催され、先に市内4か所で行われた市民との意見交換会での内容や今後の進め方などについて話し合った。総参加者数127人のうち、48・4%が70歳以上と約半数を占めたほか、50歳以上が90%超えと若い世代の参加が極端に少なかったことが明らかになった。また、当局側の説明不足に批判が集中し、ある委員は「市側の新図書館構想の立脚点は国が進める立地適正化計画にあるが、肝心のその計画についての市民への説明は一切ない。言語道断だ」と語気を強めた。私の手元に「まちづくりと施設整備の方向―立地適正化計画による都市再構築の方針(案)」(平成26年11月)というタイトルの資料がある。上田東一市長が同年2月の就任後に表明した政策理念がここに凝縮されている。図書館についてはこう述べている。
「図書館は整備や運営の手法、まちづくりの核としてそのあり方の多様化が全国で見られることから、都市機能誘導区域内に移転するとともに、市街地の振興に資する機能を付加することを検討します」―。この方針に基づき、市当局は平成27年9月から10月にかけて、地域の自治協議会のほか、全市民を対象とした意見交換会を行ったうえ、パブリックコメントも実施している。この図書館構想の是非はさておき、私自身、今後の市政運営の柱になると考え、意見交換の場をハシゴした覚えがある。今回、「これじゃ、そもそも議論がかみ合うはずはない」と今さらながらの認識不足に仰天してしまったのである。ある意味で、新図書館構想を含めた上田市政のビッグプロジェクトは少しもぶれてはいない。逆に議員側の勉強不足(サボタージュないしは無知)ばかりが目に付いてしまう。「議員たちはナメられている」という市民の声が聞こえてくる。「むべなるかな」―
返す刀で、もうひとつ…。今月23日に市当局が主催した「としょかんワ−クショップ」で、市当局が任命するアドバイザ−、富士大学の早川光彦教授(図書館学)は「公共」のあり方に触れ、こう述べた。「その良き見本がニュ−ヨ−ク市立図書館。民間の寄付と税金で運営されており、公立図書館のあるべき姿をここに見ることができる」―。私は質疑の中で、「ご指摘の図書館は正式にはニュ−ヨ−ク公共図書館のことではないか。だとすれば、設置・運営は非営利団体のNPOだと思うが…」とただした。これに対し、早川教授は「NPOではない」と断言。私は自分の誤解と受け止めて引き下がったが、この日になって担当部課に早川教授から「間違いだった」という連絡があったという。”図書館プロ”を自認するこの人にして、ことほど左様である。あえて揚げ足をとろうなどという底意は毛頭ない。真剣勝負の議論にはまなじりを決した“覚悟”が必要だということである。
「法令等に規定されているものを除き、各種委員会、審議会等の委員には議員を選出しないこと」―。花巻市議会先例集はこう規定している。整備小委員会の議員のひとりは各種委員会の社会教育委員を兼務している。この点について私は今月18日に開かれた市民との意見交換会の席上、この“利益相反”の是正を求めた。しかし、この日の会議では議題にすら上ることはなかった。”一人二役”を演じるこの人物のヘラヘラぶりはこの日も健在。一方のテレビの画面は安倍首相の沈痛な面持ちを伝え続けている。「他山の石たれ」、「人のふり見て、我がふり直せ」…とはこのことか―
「病気と治療により大切な政治判断を誤ること、結果を出さないことがあってはならない。国民の皆さんの付託に自信をもって答えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではない」―。国民をなめてかかった末の成れの果ての姿がここにある。「国民」を「花巻市民」に置き換えても何ら異同はない。「百年の計」とも言われる新図書館問題の論戦は9月4日開会の9月定例会で幕が開く。さ〜て、我がまちの理想郷「イーハトーブ」で繰り広げられる、上田“一強”市政(=独裁)と、”弱小”議員集団との対決は如何に……
(写真は激しい議会批判も飛び出した議会との意見交換会=8月18日午後、花巻市石鳥谷町の好地振興センタ−で)