思考停止に追い込まれつつある“コロナ脳”をかち割るためには強烈な破壊力のあるアニメが一番というわけで、いま話題の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(庵野秀明脚本・総監督、2021年3月公開)をのこのこと観に行ったまでは良かったが…。いきなり、しょっぱなから脳天一撃の強烈パンチに見舞われた。「人類の浄化か再生か。はたまた神殺しか」―といった先入主はサラ・ブライトマンの美声が奏でる「主よ、人の望みの喜びよ」(バッハ)の冒頭BGMによって、あっけなく打ち砕かれた。それにしても、どうしていきなり!?思い当たる節がある。それは5年前にさかのぼる。
東日本大震災(3・11)と福島原発事故の記憶の風化が叫ばれ始めた、ちょうどその時期に符節を合わせるかのようにして同監督の「シン・ゴジラ」(2016年7月公開)が登場した。「巨大不明生物」(シン・ゴジラ)の正体は海底に捨てられた大量の放射性廃棄物を摂取して生き返った太古の海洋生物。その冒頭シ−ンにいきなり、宮沢賢治の『春と修羅』の原本が映し出された。地元の偉人伝説として、たとえば次のような印象的なフレ−ズは私自身の頭の奥にも刻印されている。
「いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を唾(つばき)し/はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」「雲はちぎれてそらをとぶ/ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ」―。当時、社会現象と化したこの映画をめぐって、「なぜ、ゴジラと修羅なのか」という“意味論争”が盛んに繰り広げられた。「放射能を生み出した人類に対するゴジラの報復ではないのか。庵野監督はゴジラに対し、修羅を自認する賢治を仮託しようとしたのではないのか」というのが私の解釈だった。単純と言えばその通りだが、「この監督がなぜ唐突に“心象スケッチ”と名づけられた賢治の詩集を観客の前に投げ出したのか」―。この意表を突く“仕掛け”についてはストンと落ちるものがないまま、いまに至っていた。
私は「3・11」10周年の3月11日…81歳の誕生日に当たるその日、8ケ月間弱を過ごした地獄のような施設暮らしからの脱出(正確には”脱走”と言った方が良いかもしれない)を試み(同日付当ブログ参照)、やっとのことで自宅に生還。日なが一日、イギリスのソプラノ歌手、サラ・ブライトマンのCDに聴き耽(ふけ)った。亡き妻が好きだったサラの透き通るような歌声に救いを求めたかったに違いない。そんなある日、庵野監督の素顔に迫るドキュメンタリ−がNHKで放映された。父親が事故で片足を失ったという秘話を明かした監督はこう語った。「『欠けていること』が日常の中にずっとあって、それが自分の父親だった。全部が揃ってない方がいいと思っている感覚が、そこにある。そういう親を肯定したいという思いが、そこにある」―
「仏教八部衆のひとり、阿修羅を指す。一心不乱な狂ったような姿かたちから“鬼神″とか“戦争神”とも呼ばれる」―。修羅(しゅら)について、ウィキペディアなどはこう説明している。ハタと得心する気持ちになった。賢治がそうであったように、今回の「シン・エヴァ」では庵野監督自らが修羅そのものを演じようとしたのではないかと…。はじけるような心持ちで映画館に走った。
「人類補完計画」なるものがこの映画の最大のキ−ワ−ドらしい。「魂と肉体の解放による全人類の進化と意識の統合による原罪からの開放…」―。またぞろ、“意味論争”が百花繚乱の趣である。ふと、「シン・ゴジラ」を創造したと言われる学者の遺書めいた紙片が『春と修羅』のかたわらに置かれている場面を思い出した。「私は好きなようにした。君たちも好きにしたまえ」とそう書かれていた。「シン・エヴァ」の試写会の席上、庵野監督が「もう終わったから、オレは見ないよ」と会場を後にする姿をドキュメンタリ−は伝えていた。「あとはこの映画を観たみなさんのご随意に…」といった風に―
コロナ禍の中で席に間隔を持たせた劇場はそれでも満席に近い状態だった。耳に残響音を残しながら、私は改まった気持ちでスクリ−ンから流れる「主よ、人の望みの喜びを」に聴き入った。サラの美声が前にもまして心地よく響いた。「人類とは永遠に補完し続けなければならない代物なのだ。欠陥品、それでいいのだ」―これが「ナゾ深き男」…庵野“修羅”のメッセ−ジなのだと勝手に解釈した。「絶望せよ。だが、希望も捨てるな」―。幕開きの冒頭にこの宗教歌をさりげなく重ねた意図が少し、わかったような気がした。これも随分と自分に都合の良い解釈だと思いつつも、絶望の淵からすんでのところで救済されたという思いが募った。さて、この“修羅神”は三度目の正直として、今度は何をプレゼントしてくれるだろうか。
ひょっとしたら、それはコロナ神に対する“敗北宣言”だったりして……
(写真は現代版“修羅”の庵野秀明監督=インタ−ネット上に公開の写真から)
《訃報》〜「不条理」を訴え続けた李さんが死去
3月7日付当ブログ(「花粉症とBC級戦犯、そして“同志”ということ」)で紹介した李さんの訃報が届いた。追悼の気持ちを込めて、朝日新聞の記事を以下に転載する。
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第2次世界大戦後の戦犯裁判でBC級戦犯として裁かれ、日本政府に救済と名誉回復を求めていた在日韓国人の李鶴来(イ・ハンネ)さんが28日、外傷性くも膜下出血のため東京都内で死去した。96歳だった。葬儀は家族で営む。1925年、現在の韓国・全羅南道生まれ。戦時中、日本軍軍属としてタイで捕虜収容所の監視員を務めた。捕虜を泰緬(たいめん)鉄道建設に従事させ多数を死なせたとして、シンガポ−ルで連合国が開いたBC級戦犯裁判で「日本人戦犯」として死刑判決を受けた。減刑後、東京に移され、56年に仮釈放された。
元戦犯に対する恩給など日本政府の援護制度は、日本国籍を失ったことを理由に対象外とされた。元戦犯者らと「同進会」を結成し、政府に「日本人戦犯には恩給や慰謝料を給付しているのに、なぜ外国籍戦犯を差別するのか」と救済と名誉回復を訴えていた。韓国政府は2006年、「日本の協力者」としてきた李さんらBC級戦犯を「植民地支配の被害者」と認め、名誉回復した。戦犯仲間らでつくったタクシ−会社を都内で経営。24日に自宅内で転倒して頭を打ち、足を骨折。病院に緊急搬送されていた(3月28日付電子版)