次期市議選(7月24日)への立候補予定者説明会が6月2日に迫る中、巷では10人以上の新人の出馬がうわさされるなど早くも選挙モ−ドが高まりつつある。「イ−ハト−ブはなまき」の実現を目指す私もその一角に参入するべく、このほど話し合いの場づくりのための討議資料(リ−フレット)を作成した。「同級生各位、そして親しい友人、知人の皆さまへ」というタイトルの以下の文章にその思いを込めた(上掲写真がリ−フレット)
※
コロナ禍という未曽有のパンデミックに襲われて、早や2年の歳月が過ぎました。そして私たちはいま、ウクライナ戦争という残酷無比な歴史のただ中に放り出されてしまいました。まさに、自分自身の人生の無為を思い知らされる日々です。
先の市長選で、市政刷新を訴えた候補者の敗北がこれに追い打ちをかけました。「咳をしても一人」―。長いトンネルの中で自由律俳人、尾崎放哉のこの句が何度も口をついて出ました。やがて雪がとけ、トンネルの向うに桜の花びらが目に入った途端、生来の”持病“がむくむくと頭をもたげてきました。捨てる神あれば、拾う神も。
「どうせ一人なら、冥途のみやげに人生最後のお祭り騒ぎをしようではないか」―。というわけで、今年夏の市議選に「叛逆老人は死なず」というノロシを掲げて、出馬することにしました。「老残の身、みっともないから止めろ」という冷やかしの声も聞こえてきます。しかし、私は1歳年上の冒険家、堀江謙一さん(83)がたった一人で太平洋をヨットで横断中というニュ−スに勇気をもらいました。
宮沢賢治が夢見た理想郷「イ−ハト−ブ」ではいま、息が詰まるような強権支配がまかり通っています。私はみたび議場に舞い戻り、上田東一市長に対し、不退転の論戦を挑みたいと考えています。
こんな“叛逆老人”ですが、皆さまの心からのご支援をお願い申し上げます。
2022年、過ぎにし桜花の季節に
《追記》〜「咳(せき)をしても一人」
4年前の今日5月1日、哲学者・鷲田清一さんの名物コラム「折々のことば」(朝日新聞)にこの一句が登場した。自分の今の心境と重ね合わせ、思わずこっちも苦笑いをしてしまった。
※
順調だった人生路から外れ放浪の旅に出た俳人が、最後に辿(たど)り着いた小豆島の庵(いおり)で詠んだ句。肺を病んでぜえぜえ咳(せ)き込むも、音は虚空に響くのみ。「一人」とつぶやくのも、打ち棄(す)てられているとの思いを断ち切れずしてか、あるいは未(いま)だ「一人」と意識する未練がましさを笑ってか。「入れものが無い両手で受ける」という句の切迫にもたぶん同じ苦笑いが。『尾崎放哉句集』から。