新花巻図書館の立地をめぐり、迷走劇を続けているわが「イ−ハト−ブ」(賢治命名の夢の国)の有り様にうんざりする日々、ふと隣りまち・北上の「図書館」誕生秘話を思い出した。一体、どうしたらこれほどまでの“雲泥の差”が生まれるのか。この日(15日)の市民説明会の会場はたまたま、「まなび学園」(生涯学習都市会館)。隣接地では私が立地の最適地とした花巻城址が約百年ぶりにその全貌を現しつつある。約20人の市民が参加、うち半数近い9人が発言。城のおもかげが残る旧花巻病院跡地への立地を求めた。ふと窓外を見やると、霊峰・早池峰の雄姿が…
「うん、いい計画だなぁ。検討するべじゃ」―。当時、北上市長だった故斎藤五郎さんのこのひと言で全国で唯一、詩歌に特化した図書館「日本現代詩歌文学館」は産声を上げた。40年ほど前、「北上近代詩歌資料館(仮称)建設基本計画」と書かれた趣意書を胸にしのばせた男が市長室を訪れた。当時、毎日新聞(北上駐在)の記者だった佐藤章さん(故人)。「工場誘致も大切だけれども、文化の香りも…」。こう“直訴”した佐藤さんに斎藤市長は即座に「うん…」とうなずいた。ほどなく開かれた市議会全員協議会は大きな拍手に包まれ、檄(げき)が飛んだ。「市長、やりとげろよ」―
平成2(1990)年5月20日、文学館は市制施行30周年事業として、正式にオ−プンした。民間協力団体「文学館振興会」が立ち上げられ、最高顧問には作家で詩人の井上靖氏が就任。会長には「政界の3賢人」と呼ばれ、文部・厚生両大臣や衆議院議長も歴任した灘尾弘吉氏(いずれも故人)が名を連ねた。“托鉢行脚”と称して、建設費の半分に当たる3億円の資金集めや資料収集の実働部隊が全国に散った。その後、最大200万冊が収蔵できる「研究センタ−」も完成。現在の収蔵数は図書や雑誌類が約133万5千冊、その他の写真や原稿などがざっと9万2千点にのぼり、まさに「日本一」の規模を誇っている。
さらにその4年後には黒沢尻工業高校の移転に伴い、その跡地に自然美豊かな「詩歌の森公園」が誕生した。10数年の歳月と総工費約26億円をかけた大事業…「言霊の館」とか「北の詩歌の正倉院」などと呼ばれる文学館は公園の中心に位置している。広大な敷地内には池や水の流れ、築山などが配置され、井上靖記念室や俳人の山口青邨の居宅を移築した「雑草園」などがある。そして、文学館の前には本県が生んだ日本を代表する彫刻家、舟越保武の彫像「EVE」(イブ)がひっそりとたたずんでいる。
「東芝などの企業進出で北上市は、工業都市としての発展がほぼ約束されたと思う。しかし、せっかく文学的な風土があるにもかかわらず、その象徴になるものがない。“工業砂漠”だけにはしたくない」(昭和59年1月25日付「岩手日報」)。「五郎さん、五郎ちゃん」の愛称で呼ばれた斎藤市長の面目躍如たるものを感じる。
それにしても「三人三様」とはよく言ったものである。“暴言”市長の名をほしいままにした兵庫県明石市の泉房穂市長がふたたび舌禍事件を起こし、今期限りの引退を表明した。職員に対する暴言の責任を取って、いったん辞任した後の市長選で再選されるなどの“強運”の持主も今度は力尽きた感がある。だがその一方で、子育て支援などの行政手腕は高く評価され、市民の間から「辞めるなコ−ル」も。他方、同じような暴言などで“パワハラ”疑惑がつきまとっている当市の上田東一市長はといえば、新図書館の駅前立地の強行突破の構えを崩していない。さ〜て、東西の“暴言対決”の行く末はいかに…。いずれ「人徳」という点で言えば、この二人に比べて「五郎さん」は別格である。
(写真は広々とした「詩歌の森公園」。このたたずまいが図書館と見事に融合している=北上市本石町で)