「水をのまずに酒を呑む/そんなやつらが威張ってゐると/ポランの広場の夜が明けぬ/ポランの広場も朝にならぬ」―。宮沢賢治の作品『ポラ−ノの広場』にこんな“雄叫び”みたいな歌の一節が出てくる。政治の腐敗を見かねた博物局員のキュ−ストや農夫の子ファゼ−ロたちが社会改革に立ち上がるという物語である。「ポラン」とは賢治が名づけた「イ−ハト−ブ」に通じる“理想郷”のことなのかもしれない。
「はなまきポラン保育園」―。賢治にあやかって命名した公立小規模保育所が令和4年度末をもって閉鎖されることになった。平成30年4月、3歳未満児(定員19人)を対象に総工費約3千2百万円を投じて、コンビニ店を改装して開設。設置期間を3年程度と想定していたが、利用者減に歯止めがかからず、令和3年度以降は利用者ゼロの状態が続いていた。15日開催の議員説明会で市側は理由をこう説明した。「2歳児までしか受け入れしないことから、3歳以降はふたたび保育園を探さなければならない。このため、最初から保育園への入所希望者が多く利用者の確保が難しくなった。待機児童が多かった当時の緊急避難的な判断は間違っていなかったと思う」
「橋上化だけで発展するとは考えておらず、人口減少や中心市街地の衰退に少しでも歯止めをかけるために必要と考える。駅西側は今でも人口が増加しており、できれば若い世代に住んでいただければ、花巻市の活性化につながるのではないかと思う」(9月15日「まなび学園」で開催の市民説明会)―。JR花巻駅の橋上化(東西自由通路)の必要性について、駅西口の利便性向上や「動いてる感」の期待効果を繰り返し強調したのは他ならぬ市側ではなかったか。ポラン保育園は駅西口から徒歩10分足らずの距離にあり、まさにその立地条件にぴったりではなかったか…
「少子化がどんどん問題になっている中で、いずれ何年か後にはまた閉園になるという懸念はないか」(2018年9月定例会一般質問)―。市側の設置判断に対し、一方の議会側では開設直後からその先行きを懸念する声が出ていた。この日の説明会でも国や県から補助金の返済が迫られることなどについて、「見通しが甘かったのではないか」と批判が相次いだ。今回、それが現実となった形である。私が問題としたいのは、閉鎖時期の政治判断(危機管理)の甘さである。
ポラン保育園は実は昨年度から2年続きで利用者がゼロになり、実質的な経営破綻に陥っていたことが明らかになった。土地や建物の賃貸料や光熱水費などは年間360万円以上にのぼり、閉鎖までの2年間に市が負担する維持管理費(約720万円)は結局、ドブに捨てたも同然になる。「利用者がゼロになった時点で閉鎖を検討したが、見通しを誤ったと言われれば認めざるを得ない」と市側は防戦一方。これこそが「ブルシット・ジョブ」(壮大なる無駄)の典型ではないのかと思った。「税金の無駄使いは許されない」(上田東一市長)という公約は一体、どこに行ったのか。
「ポラ−ノの広場のうた」はこんな歌詞で終わる。「まさしきねがひに、いさかふとも/銀河のかなたに、ともにわらひ/なべてなやみを、たきゞともしつゝ/はえある世界を、ともにつくらん」―。かつて、つめ草が一面に咲き乱れた「ポランの広場」通りは今、まるで“賢治”の待合室の二の舞みたいに人通りの少ない街並みと化しつつある。「子育て支援」の重要性をことあるごとに口にする上田流「活性化」手法のまやかしがふたたび、白日の下にさらされた感がある。
(写真は今年度いっぱいで閉鎖されることになった「ポラン保育園」=花巻市西大通2丁目で)
《追記》〜10年一昔
15日に開催された議員説明会の席上、市側は懸案の「JR花巻駅橋上化(東西自由通路整備)」構想について、令和8年度に工事を開始し、供用開始は同10年度になるとの見通しを明らかにした。「10年一昔」というが、いまの高校生が社会人になるまで、“賢治”の待合室はいまのまま、放置され続けるのだろうか(11月12日付当ブログ参照)