「人類はいま、コロナパンデミックという感染症の脅威の中に生きなければならない宿命を負わされてしまいました。ニュ−ノ−マル(新しい日常)が叫ばれる時代の中で、図書館の在り方も従来のようなまちの活性化やにぎわい創出の観点だけから論じることは、もはや不可能だと考えます」(2020年10月25日)―。私は2年前の夏から秋にかけて5回開催された「としょかんワ−クショップ」の最終回で、冒頭のような意見表明をした。あれから2年以上たったいま、コロナ禍は一層悪化の一途をたどりつつある。
新花巻図書館の立地問題に議論が集中した市議会12月定例会が開会中の12月13日、岩手県は新型コロナウイルスへの1日の感染者数が過去最多の2515人に達したと発表。岩手医大附属病院の小笠原邦昭院長は「いまの状態からさらにひっ迫した時には本当に命が危なくなることを想像してもらいたい」と厳しい口調で呼びかけた。相前後し、当市でも上田東一市長や複数の議員らが相次いで感染し、厳しい議会運営を迫られた。そんな中、市側が立地場所の第一候補地に挙げたのがJR花巻駅前のスポ−ツ店敷地だった。
「公共交通が整備された駅前こそが最適地。将来の世代を担う若者世代や駅利用者が集うことによって賑わいも創出され、駅周辺の活性化も加速される」―。マスク姿といういで立ちで駅前立地の正当性を力説する上田市長に激しい違和感を覚えた。「感染症の時代だからこそ、人の集積はなるべく避けるべきだという発想の転換が必要ではないのか。それこそが行政トップの使命ではないか」と毒づきたくさえなった。「緊急事態宣言」が発令された2年前、図書館プロデュ−スの達人として知られる岡本真さん(アカデミック・リソ−ス・ガイド代表)はこう語っていた。事態はまさに岡本さんの予想通りに進んでいる。
「図書館の集客機能がまちづくりの文脈で評価・尊重されてきましたが、新型コロナの感染拡大を防ぐには、図書館においてもむやみに人を集められない、かつ長時間の滞在が好ましくない、さらに交流自体を大規模には行えないということになります。この10年ほど、大きな影響力をもってきた図書館による『賑わい』創出という考え方は曲がり角に来たと感じています。コロナの脅威がいつまで続くのかは、まだ誰にもわかりません。ですが、今後も発生が予測される新たな感染症の脅威を見込むと、公共施設の計画・整備・運営は一度ゼロベ−スから組み上げ直していく必要があるでしょう」(2020年7月10日付論考「新型コロナ後、『図書館×まちづくり』の在り方が問われる」)
コロナ禍の中での“立地論争”のさ中、花巻城跡に隣接する旧総合花巻病院の建物群が撤去された結果、目の前に霊峰・早池峰山を遠望する眺望がこつ然と姿を現した。「いままで建物に遮られて見えなかったけど、この光景を目に入れてしまった以上、図書館はもうここしかない」―。まるで、“新名所”にでも様変わりしたみたいに「跡地」見物が後を絶たなくなった。新図書館をめぐる市民説明会で「病院跡地派」が32人と「駅前派」の18人を上回ったのもはけだし、自然の成り行きだったのであろう。予想だにしない出来事が突然起きる―「青天の霹靂」(せいてんのへきれき)とはこのことを言うのかもしれない。
旧総合花巻病院の中庭に宮沢賢治が設計した花壇があった。「Fantasia of Beethoven」(ベ−ト−ベンの想い)と自らが名づけたこの花壇について、賢治はこう書いている。「けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花でBeethovenのFantasyを描くこともできる」(『花壇工作』)。病院跡地に隣接し、シニアが集う「まなび学園」は妹のトシが学び、のちに教鞭を取った花巻高等女学校(花巻南高校の前身)の建物である。そのトシは約100年前、世界中で猛威を振るった感染症(スペイン風邪)に罹患(りかん)し、それが原因で夭折(ようせつ)した。空耳であろうか…。銀河宇宙の彼方から、賢治の声が聞こえたような気がした。
「イ−ハト−ブに図書館をつくるのなら、おらも大好きで何回も登った早池峰が見えるその場所に建ててほしいな。広々とした空間が広がるこの環境なら、トシもきっと喜ぶと思う。ついでに、ベ−ト−ベンの花壇も復元してもらえれば、よけいうれしな…」―。口を開けば「コロナ対策」を叫ぶその人が一方で「コロナ」に背を向ける…その無自覚ぶりというか、倒錯した”図書館像”はもはや悲惨を通り越して、”狂気の沙汰”としか言いようがない。
(写真は市側が新図書館の立地の第一候補に挙げたスポ−ツ店とその周辺=JR花巻駅前で)