怒りや絶望感さえも通り越したような、この鬱々(うつうつ)たる気持ちを何と表現したらよいのだろうか。「鬆」(す)―。水分が不足して繊維ばかりのスカスカの状態になった大根の切れ端を見ながら、ふとこの言葉が浮かんだ。「(大根に)鬆がとおる」などという。骨が劣化するあの老人病の年齢に達したせいばかりでもあるまい。新花巻図書館とJR花巻駅橋上化(東西自由通路)をめぐる上田東一市長の“詭弁”(きべん)の数々については、当ブログでも再三触れてきた。終わりが見えないコロナ禍の中で、上田流の居丈高で中身の「スカスカ」手法はもう臨界点を超えたというのが本音である。
「白紙撤回」と「市政刷新」と…。師走入りした12月中旬、82歳の老残はこんなのノボリ旗を立てながら、JR花巻駅前でマイクを握った。同憂の士を募って、「駅前図書館の白紙撤回を求める市民有志の会」(「白紙撤回の会」)を立ち上げたばかりだった。「叛逆老人は死なず」と「さらば、お任せ民主主義」の2本柱を掲げた今夏の市議選で惨敗して以来、約5カ月ぶりの辻立ちである。「JR交渉はもう、やめろ」、「賢治のイ−ハト−ブが泣いているぞ」…。上田市政に危機感を抱く同憂たちもそばで、大声を張り上げている。「不退転」の決意がビンビンと伝わってきた。
賃貸住宅付き「図書館」という奇怪な構想(”上田私案”、のちに「住宅付き」部分は撤回)が降ってわいてから、間もなく丸3年になる。この人にとっての「図書館」の出自とは実は、”不動産”物件だったことがいまや白日も下にさらされつつある。さらには、高校生の”政治”利用(世論誘導)という強権発動にまで手を染め、その”暴走”は止まるところを知らない。「白紙撤回の会」は神出鬼没の”忍法”の術を駆使して、市民の皆さんの前に突如、現れるはずです。2本のノボリ旗に気が付いた時には、ほんのちょっとでも耳を傾けてください。市政を自分たちの手に取り戻すためにも…
では、皆さん、良いお年を。来年こそは宮沢賢治が「夢の国」と名づけた”イーハトーブ”の夜明けが来たらんことを!?この1年間、歯に衣着せぬ”罵詈雑言”にお付き合いいただき、ありがとうございました。新しい年も懲りずに、よろしくお願い申し上げます。
※
<図書館の病院跡地への立地と市政の刷新を>(設立趣意書)
花巻城跡に隣接した旧総合花巻病院の移転・新築に伴って、眼前を覆っていた病棟が解体された結果、私たちは約100年ぶりに由緒ある遺跡など城跡のおもかげに接するという幸運に恵まれました。晴れた日には霊峰・早池峰など北上山地の雄大な姿を望むができます。目の前にこつ然と現れた広大な“空間”に身を置きながら、私たちは「図書館の立地はここしかない」と直感しました。
花巻市はJR花巻駅前のスポ−ツ店用地を第1候補に挙げていますが、郷土の詩人、宮沢賢治が学んだ現花巻小学校とシニアの学びの場である「まなび学園」(生涯学習都市会館)に挟まれたこのロケ−ションこそが「文教地区」にふさわしいと考えます。私たち「白紙撤回の会」は以下の理由から、駅前立地に反対し、市民の声を行政に反映できるよう市政の刷新を求めるものです。
●当該地は来年3月(予定)に更地になった段階で、市側が取得することが決まっている。JR所有の駅前用地の取得は税金の”二重払い”(無駄遣い)に等しい。
●花巻城跡調査保存委員会は解体工事で全貌を現した「濁り堀」について、「一級品の貴重な遺構。現状保存が望ましい」と答申した。将来、原形を維持したまま“歴史公園”として整備すれば、図書館の環境がさらに充実する。
●当該地を含む花巻城跡一帯は賢治作品にも登場する、いわば“賢治精神”が凝縮されたホ−ムグランドでもある。将来都市像として「イ−ハト−ブはなまき」の実現を掲げる当市にとっても「うってつけ」の場所と言える。
駅前図書館の白紙撤回を求める市民有志の会(「白紙撤回の会」)
(写真は図書館の駅前立地の撤回を呼びかける私=2022年12月中旬、JR花巻駅前で。手にしている白紙は中国の習近平「独裁」(ゼロコロナ政策)反対で注目を浴びた“白紙運動”にあやかった)
《追記》〜広島でも図書館“立地”論争(12月25日付朝日新聞「声」欄から)
広島市立中央図書館は、平和公園に近く、街の中心部でも木立に囲まれたみどりの図書館です。閲覧室や自習室の窓からは梅や満開の桜も望め、小鳥たちが憩っています。しかし、築48年で建物が老朽化したことから、市は移転を計画。現地での建て替えを求める市民による署名活動も行われるなか、市は広島駅前の商業施設内へ移転する方針を示しました。議論は尽くされたとは言えず、拙速に判断されたとしか思えません。
この図書館は、被爆についての文献資料を網羅的に収集し、多くの被曝者が被爆体験記を納めています。遺言のようにつづられたその声に触れるため、故井上ひさしさんら作家たちも通い、被爆の実相を伝える作品を生んでいったと聞きます。ここに集う人は、平和記念公園に続く静かな環境で、被爆者から私たちに残された声を聴くのです。郷里の広島で被爆した詩人、原民喜は詩「永遠のみどり」で、「ヒロシマのデルタに/青葉したたれ」とうたいました。みどりは平和です。中央図書館が今の場所で再建され、被爆地の図書館としての使命を果たしていくよう望みます(司書 竹原陽子=広島県・46歳)
<註>〜27日付中国新聞デジタル(Yahhoo!ニュース)にこの間の詳しい経緯が掲載されている。市民無視の強引な進め方は当市のケースと類似点が多く、示唆的である。「図書館とは何ぞや」という論議を深めるうえでも貴重な報告と言える。