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「BARABARA」―向井豊昭の世界

2018/02/16 07:49/「BARABARA」―向井豊昭の世界

 「朝は股の真ん中からくる。鶏のように首をもたげた陰茎を、今朝もまた布団の中の五本の指が握りしめていた」―。こんな書き出しで始まるこの小説は冒頭の行為をアイヌ語で解読する。「しゅいん(手淫)する」→「yayokoyki」(ヤヨコイキ)→「yay(自分の)+o(陰部)+koyki(いじめる)」―。「知里真志保の『分類アイヌ語辞典』にはこんな言葉が見られるが、『いじめる』とは、うまく言い当てたものである」…。のっけから、一発見舞われた気分になる。故向井豊昭さんの『BARABARA』は厄介な振る舞いを演じそうな自分を断ち切り、際限なく自己解体していく物語である。

 

 向井さんのサインのある同書の日付は「1999年3月11日」―。どうして私の誕生日になっているのかは判然としないが、初対面が19年前だったことはわかる。こんな過激な文章を書く人とは一体、どんな人物なのか。恐る恐る面会を申し入れた。「あぁ、いいですよ」。落ち合ったのは山手線の高田馬場駅だったと記憶している。大柄なその人の眼はメガネの奥で柔和に笑っていた。ひとり芝居の観劇や場末の居酒屋での文学談義…。お付き合いは2008年、75歳で亡くなるまで断続的に続いた。この出会いが私自身の立ち位置に大きな影響を与えてくれたと思っている。

 

 東京生まれの向井さんは東京大空襲に遭遇し、祖母のふるさとである現在の青森県むつ市へ疎開。高校を卒業後、県内の小学校で教鞭をとったが、29歳の時に北海道日高管内の小学校に転出。そこでの「アイヌ子弟」との出会いがその後の人生を決定的にした。アイヌの差別や貧困をテ−マにした作品を手がけ、教員仲間と「北海道ウタリ(アイヌ語で「仲間」の意)と教育を守る会」を立ち上げた。自らの偽善に気づかされたのはその活動のさ中である。ガリ版刷りの手書きの私家本『手』に向井さんはこう記している。「アイヌ語を滅ぼしたものの言葉(日本語)で、アイヌの復権を唱えている」―。そして10年後、アイヌの教育現場から“逃亡”する。

 

 「ゴキッ!骨の外れるような痛みを残して、自分が二つに割れていく。振り返ると、眼鏡を外したもう一人の自分が枕に頭をのせていた」―。制止する手を振りほどき、割れた方の自分はその日の始まりである朝食を普段通りに取る。本作の文中には南千住界隈(東京都荒川区)の風景も出てくる。そのひとつが「小塚原(こづかっぱら)回向院」―かつての刑場の跡である。近くに蘭学者の杉田玄白や前野良沢らが刑死者の腑(ふ)分け(解剖)に立ち会ったことを記念した「観臓記念碑」(1922年建立)が建っている。『解体新書』の扉を模した御影石の碑文にはこんなことが書かれている。「玄白等はオランダ語の解剖書タ−ヘル・アナトミアを持って来て、その図と実物とひきくらべ、その正確なのにおどろいた」―。

 

 ゴキッ、ゴキッ、ゴキッ……。自己解体はまるで腑分けのような勢いで進んでいく。代替教員である中年の男は教え子の膨(ふく)らみ始めた胸にいやらしい視線を送ったり、校長に暴力をふるいかねない素振りを見せる。そのたびにゴキッ、ゴキッ。そして、昭和最後の日を迎える。皇居に向かう人波は絶えない。それに誘(いざな)われるようにして、男は妻とひとり息子を連れて二重橋へ。あまりの人ごみのために「楠木正成」像へと予定を変える。「像に近づき見上げると、正成の両頬に流れるものがあった。涙ではない。鳩のオシッコの跡である。忠君愛国など気にも留めない、鳩は平和の使者だったのだ」―。向井さんは小説を以下のように結んでいる。

 

 「ならば、これからも、BARABARA(文中ではロ−マ字が実際にバラバラの配置になっている)と外れ続けてやろう。種子のように外れては、不逞の輩をバラ撒くのだ。アスファルトの道路のひびにもぐり込み、発芽の時をじっと待つのだ。頬がふくらむ。まるで億兆の種子をふくんだようだった」―。世の中の意に沿うよう忠実に「割れてきた」ことへの意趣返しの捨てゼリフみたいにも聞こえる。

 

 「人と人とを隔て、差別と抑圧を産み出す『境界』。その解体を目論み、死の直前までゲリラ的な執筆活動を持続した反骨の作家」―と帯に書かれている。4年前、『向井豊昭傑作集/飛ぶくしゃみ』(岡和田晃編著)が発刊され、文壇から黙殺され続けてきた「向井文学」に光が当てられた。今月号(3月)の文芸誌『すばる』は文芸評論家、山城むつみさんの評論「カイセイエ―向井豊昭と鳩沢佐美夫」を掲載している。鳩沢(故人)は『コタンに死す』や『沙流川』などで知られるアイヌの作家である。「カイセイエ」とは向井の作品『脱穀』に由来し、アイヌ語で「人間の抜け殻」を意味するという。向井文学をひも解く重要なキ−ワ−ドのひとつである。

 

 「《ここ》の視野と《そこ》の視野は非対称的で、その空間は不均質である。…私が《そこ》という言葉で念頭に置いているのは、さしあたり、旧日本帝国の植民地ないし準植民地だった朝鮮半島、台湾、沖縄、北海道である。《ここ》という言葉で念頭に置いているのは、さしあたり、それらに対する、いわゆる“内地”あるいは“本土”である。『さしあたり』と断るのは、《ここ》にも《そこ》は散在するし、逆に《そこ》にも《ここ》は点在するからである」―。山城さんはこうした前提に立ちながら、向井文学の「自覚」性に注目している。前掲『脱穀』の中で向井さんはこう繰り返している。

 

 「まぎれもない侵略者の家系に、わたしはつながっているのだった」、「わたしがアイヌの子ども達を日本語で教育する以上、それは帝国主義的同化政策の仕上げに加担していることなのだ」……。その一方で、作品のあちこちにはたとえば、教え子のアイヌの少女に向けられる隠微な眼差しが見え隠れする。被差別者を上から見下ろすようなに差別者の位置関係が垣間見える。「この種の非対称的な欲動(よくどう)が内部でうごいていることを自らに偽らなかった点で傑出した作家だ」と山城さんは書いている。独りよがりな“加害者意識”が先行し、アイヌの前に頭をたれるだけで良しとする安易な慈悲心がそこにはない。私が北海道(アイヌモシリ)や沖縄(ニライカナイ)に向き合う際の立ち位置として学んだのは、自己欺瞞を隠そうとしない向井さんのそんな姿勢だった。

 

 鳩沢は「アイヌの…」と呼ばれるのを嫌ったという。「アイヌ」とはアイヌ語で「人間」という意味である。向井さんがバラバラに自己解体を試みた背後には本当の「人間」に立ち戻りたいという思いがあったからかもしれない。鳩沢がそう願ったように…。『BARABARA』が早稲田文学新人賞を受賞した時、唯一、評価したのはフランス文学者で映画評論家の蓮實重彦さんだった。「野蛮な言葉」というタイトルでこう書いている。「言葉が感性をまがまがしく刺激する凶器であることを、文学は忘れてしまったのだろうか。…ここで断言できるのは、今月号の文芸雑誌を飾る文壇作家たちの作品のどれにもまして、この作品の言葉が鈍い興奮をあたりに行きわたらせているという一点につきている」(1995年12月21日付「朝日新聞」)

 

 私たちはいまこそ、虚飾にまみれた己自身をバラバラに解体し、その臓腑(ぞうふ)のありさまをまじまじと見据えなければなるまい。抜け殻となった「人間」復権のためにも…。

 

 

(写真は妻の恵子さんが描いた油絵「豊昭像」と贈呈されたサイン本。「BARABARAは花のたね」とバラバラに書かれている)

 

 

 

2018/02/16 07:49
イーハトーブ通信|花巻市議会議員 増子義久

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